邦訳聖書と年の暮れ
昨日、大掃除をし年賀状を書き終わり、新年に向かっての準備に光が見えてまいりました。まだ、一つ大仕事が残ってはおりますが・・・。
ただ今、必要があって『幕末邦訳聖書集成』から二つばかり借り出して目を通しているところ。
キリスト教という日本文化にとって異質な要素を含む宗教の最重要文献を日本語に移すという大変な作業の記録のような文書群で、興味深い。
一番読みたかったのは、ジョナサン・ゴーブルの訳した『摩太福音書』だったのですが、復刻版のため文字が草書体および変体仮名で書かれており、ところどころよく読めず(泣)。
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このゴーブル版は、「穢多」という言葉を使っていることで有名なのではないかと思います。今の聖書では「徴税人」と訳されている語を「穢多」としているのです。
上杉聰さんの『これでわかった!部落の歴史』にその箇所が引用されています。
イエスウ その いえにて ごぜん(膳)に つき たまうとき みよや あまたの
穢多 と つみびと ときたって イエスウ および でしたちと ともに ぜんにつきたる ことになった。
これはマタイ9章にあるマタイがイエスから呼ばれて弟子になる所ですね。
- 作者: 上杉聡
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なんだかこの読みづらい聖書を懸命に読んでいると、訳したゴーブルの息遣いが感じらてくるような気がしてきて、130年の時を超えて彼の奮闘が伝わってくるような錯覚を覚えてしまいましたよ。
「神の国」は「神のごせいじ」、「主」は「公(きみ)」、「聖霊」が「生霊」という風に今とは異なる訳語も面白いし、こういう先人たちの苦闘の上に、共同訳聖書があるのだなとしみじみ感じ入りました。(でも、日本語訳聖書はまだまだ完成途上だということも、改めて感じたのも事実。)
もう一つ借り出したのはこれまた最初の日本語訳聖書として有名な、ギュツラフ訳の『約翰福音之伝』。
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というこれまた、有名な出だしで始まる邦訳聖書です。
こういう翻訳を見ていると、言葉の不思議をつくづく感じます。
一つの言語体系が思考や文化が絡まりあって一つの宇宙を作っていて、その宇宙に存在しない新しい思考や概念を持ち込もうとすると、このような摩擦と苦闘が生じて、何か熱を発しているような、この感じ。
キリスト教を日本人の自分が信じていることにも、そういう摩擦や熱が起こっているし、そこを過ぎこしていくことは大切なことなのだということを思う年の暮れであります。
『いつか王子駅で』を一語一語噛みしめるように、ゆっくり読みつつ大晦日を迎えたいところですが、さて?
明日から一週間ほど留守にします。オフラインとなりますので、コメント欄は閉めていきます。
どうぞ皆様、よいお年をお迎えください。一年間ありがとうございました。
2008年が実り豊かな年となりますように。
はるる