ひっそり復活・・・?

 うわあ、1月に書いたきりだった…。

 というわけで、もう誰も読んでないであろうブログをひっそりと更新しております。
 復活節なので、ひっそり復活。
 
 沈黙の間、いろいろなことがありましたが、昨年からの続きでいえば、更にスカートを二枚縫いました。

 参考にしたのは、下の本。

 

いつも着たい手ぬいの大人服 (レディブティックシリーズno.3013)

いつも着たい手ぬいの大人服 (レディブティックシリーズno.3013)


 後は、生業に関わることにまい進していたとしか言いようがありませぬ。

 最近、またシモーヌ・ヴェイユ読みたい熱がぶり返してきており、ぼちぼちと読んでいます。

 『ギリシアの泉』『ロンドン論集と最後の手紙』『神を待ち望む』あたりを。

 

ギリシアの泉 (みすずライブラリー)

ギリシアの泉 (みすずライブラリー)

 

ロンドン論集とさいごの手紙

ロンドン論集とさいごの手紙

 

神を待ちのぞむ

神を待ちのぞむ


 ヴェイユ研究本もいくつか新たに読書中もしくは読了。

 『シモーヌ・ヴェイユ 犠牲の思想』『シモーヌ・ヴェイユキリスト教―善なる神への信仰』『奴隷の宗教』『アンドレシモーヌ』など。



シモーヌ・ヴェイユのキリスト教―善なる神への信仰

シモーヌ・ヴェイユのキリスト教―善なる神への信仰

 

シモーヌ・ヴェイユ 「犠牲」の思想

シモーヌ・ヴェイユ 「犠牲」の思想

あ、『奴隷の宗教』は、1970年頃の出版だし、キリスト教系の出版社からのものなので、画像がでない。

 

アンドレとシモーヌ―ヴェイユ家の物語

アンドレとシモーヌ―ヴェイユ家の物語

 この本はシモーヌ・ヴェイユの姪が書いたので(やはりとっても優秀な人みたいです。小説家・劇作家の人)、ある種の歯に衣着せぬ趣があります。
「聖女」も身内から見ると、そういうものかもね〜。シモーヌの極端な部分への眼差しとか。

 しかし、父方、母方双方の祖先をたどる部分や、アンドレ・ヴェイユの鼻持ちならない傲岸にして尊大な性格の描写、ある種生き急いだ叔母への愛惜の念に溢れている所、恐ろしいほどの知性に恵まれた血筋故の著者シルヴィが味わった重荷とか、いろいろと興味深い本でした。

  
 小説では『天のお父っとなぜに見捨てる』をほぼ読みました。

天のお父っと、なぜに見捨てる

天のお父っと、なぜに見捨てる

 イエスが「〜でがんすよ」「それではだちゃかん」という具合に方言で話していて、山浦玄嗣氏の影響か?とも思いますが、小説の構造というのか、趣向には感心しましたし、佐藤研氏などプロテスタントの研究者の方々にばっちり取材されているようで、なかなかいいなあと思いました。(小嵐氏は筆力のある方ですね。)

ガリラヤのイェシュー―日本語訳新約聖書四福音書

ガリラヤのイェシュー―日本語訳新約聖書四福音書

 

 大体参考文献もプロテスタント系のもので、だからか、カトリックの人間としては少し違和感のある部分がありました。

 でも、こういう小説って誰が読むのでしょうか。
 作者の方が想定している読者って一体誰なのかしらん。
 キリスト教の人?
 
 はるる