いくつかの言葉

 船本弘毅新約聖書エスのたとえ話を読む』下より。

 もちろん、人間の一部としてお金をもうけるという要素はあります。しかし、それが100パーセントではない。現時点においてはそれが100パーセントであるかのように、人間のあり方として他にはオプションがないかのように取り扱われています。だからこそ、すべてのエネルギー、すべての想像力を、利益をあげるというたった一つの目標にだけ傾注している。……


 けれども人間というのは、同時に「無私」という面を持っているのです。 
 「無私」―私を失くすことができるという人間の持っているもうひとつの側面に基づいたビジネスの構築を、なぜ考えないのでしょうか。今までのグラミン銀行もまだ半分だけしか見ていません。資本主義は半分しか見ていない、つまり人間の利、強欲というところだけしか見ていない、もう片方の私をなくすことができるという「無私」の部分を見ていないのです……


 なぜ、ビジネスのなかでやらないのか、なぜ自分のためではなくて、世界を変えるために利益をあげようとしてはいけなのか、と私は思いました。利益をあげるということは私にとっては手段になる、目標ではなく手段です。そしてそのおかねをソーシャル・ビジネスに入れることによって、最終的な目標は世界を変えることです。(54頁)2006年度ノーベル平和賞受賞者ムハマド・ユヌス氏の言葉。

 This is the first day of the rest of your life.
 
 今日という日は、あなたの残された人生の第一日目です。(118頁)



 竹下節子『聖者の宇宙』より。

 

 アルスの司祭ヴィアネーは1859年の8月4日に73歳で死んだ。「たとえあの世が存在しないとしても、この世で神を愛し神に仕え、神の栄光のために働けたことは十分な幸福だった」という有名な言葉を残した。(128頁)

 ダジャン司教は信仰は三つの力を与えるという。生きる力、人生を愛する力、他者の生を助ける力の三つだ。(186頁)

聖者の宇宙

聖者の宇宙


 この本は、序章でジャック・フェッシュについて書いていたので、彼についての情報を求めていた私は渡りに船と手に取りました。

 この人は銀行強盗未遂犯ですが、逮捕される過程で思いがけず警官を殺害してしまい、死刑になった人です。まだ刑が確定する前、刑務所内で劇的回心を遂げました。

 事件から一年後の面会日に、家族から知らされたある出来事に衝撃を受けたジャックは独房に戻って苦しみのあまり、「神よ!」と叫んだ。その瞬間に、どこからともなく激しい一陣の風のように神の聖霊がジャックののど元をつかんだ。そのとき以来ジャックは神の存在を信じ、神に自分をまかせるようになったという。(31頁)


 その後、次第に信仰を深めたジャックは、死刑確定後に二度目の回心をし、日記に「主が限りない優しさであることをまた識ることができた」と書き記しました。

 この後からは、キリスト教徒でない人には、なにそれ?という展開かもしれませんが、彼はどうせ死ぬなら、多くの罪びとの罪を購うために死ぬという方向に突き進み、1957年9月31日、処刑されました。死ぬ前日の日記に「5時間後に僕はイエスを見るだろう」と書いて。

 作家のジュリアン・グリーンは「刑務所に入れられたのは悪童だったが、首を切られたのは全く別の男だった。人間の正義は内的な変貌を考慮に入れはしない」と、述べました。

 この人の獄中日記、読んでみたいなあ。(フランスでは出版されている。)
 日本語訳なんて…絶対出ないでしょうね。

 はるる