ジャボティンスキー

 『シオニズムとアラブ』読了。



 読み終わって、今回の強硬なガザ攻撃の背後には、ジャボティンスキーの思想の影響が大きいのではないかと思いました。(ネタニヤフや2005年までシャロンが党首を務めていた右派政党のリクードはジャボティンスキーを理論的基盤とする政党らしいです。オルメルトの政党カディマは中道といわれますが、リクードから分かれているわけで、この辺り、誰か解説して欲しいところ。)

 以下は、ジャボティンスキーの重要な論文「鉄の壁」の要約および引用です。
(引用に際し、パソコン画面上で読みやすいように段落分けを変えてあります。)
 

 現時点でのアラブ人との合意が不可能であるという見解は、彼(ジャボティンスキー)を強硬な態度に導く。


 アラブ人との合意をシオニズムの必須条件と看做す人々は、そのような合意はもともと不可能なのでシオニズムを放棄するしかない。我々は入植努力を中止するか、地元住民の気分に注意を払わずにそれを続けるかのいずれかなのだ。


 「かくして入植は地元住民に依存しない力の保護の下に、彼らが破壊できないような鉄の壁の背後で発展することができる。」彼の言う「鉄の壁」とはイギリスと協力してつくられるユダヤ人の自前の軍事力であった。


 しかしジャボティンスキーはパレスチナのアラブ人とのいかなる合意も不可能であると主張していたわけではなかった。不可能なのは自発的合意である、と強調した上で彼は次のように述べる。


 「アラブ人が我々を追い出すことに成功するだろうという一縷の望みを持ち続ける限り、世界における何ものも―柔らかい言葉も魅惑的な約束も―彼らにこの希望を捨てさせることはできない。


 それは正に彼らが烏合の衆ではなく生きた人々だからだ。そして生きた人々は異邦人の入植者を追い出すというすべての望みを諦めた時にのみ、そして鉄の壁のすべての裂け目が塞がれた時にのみ、そのような運命的な問題について譲歩する用意ができるだろう。


 そうなって初めて『否、決して』をスローガンとする極端主義的なグループが影響力を失い、彼らの影響力がより穏健なグループに移行するだろう。それから初めて穏健派が妥協のための提案を申し出るだろう。


 それから漸く彼らは、自分たちを追い出さないという保証や市民的・民族的な権利の平等といった実際的な問題について我々と交渉し始めるだろう。」


 頑なな反対が「鉄の壁」に当って砕け散った時に初めてアラブ人は穏健化して交渉への道が開かれる、というこの議論は苛烈である。ジャボティンスキーは最終的には「彼らは満足のいく保障を確かに与えられ、二つの人々は良き隣人のように平和に暮らすだろう」と予想した。


 しかしその平和共存はあくまでも分離と対決の彼方に、しかもアラブ人の屈服の後に想定されるものであった。


 「そのような合意につながる唯一の道は、『鉄の壁を建てる』ことであり、それはイスラエルの地ではいかなる状況下でもアラブ人の圧力に屈しない力がなければならないことを意味する。

 
 言い換えれば、将来において彼らとの合意を達成する唯一の道は、現在において彼らと合意に達しようとするいかなる試みをも絶対に避けることである。」
(97〜98頁)


 第3章以下はイスラエル建国以後のシオニズムの流れ、それはまさにイスラエルの政治史そのものですが、について書かれており、イスラエルという国家を理解するには必読書のように思いました。

はるる