まことにもってお久し振り

 今年もはや一カ月はさっさと過ぎ去り、既に2月。

 旧正月すら終わってしまっており今更ではありますが、本年もよろしくお願いします。

 1月の私にとっての大きな出来事は、横浜で開催された「脱原発世界会議」に参加したことでした。

 こうした集まりに行けば、原発問題は何も終わっていないと感じるのですが、私の周辺の雰囲気は、原発事故などこの世になかったかのようで、原発はいろいろ問題があってまずいという話をすると、「感情的」「あんなの千年に一度しか起こらないのに、大げさ」「日本のエネルギー問題をもっと冷静に考えろ」「節電に必死で、企業が困っているのが分らないのか!原発なしに日本経済は困るんだよ!」「原発が事故を起こすといっても、せいぜいチェルノブイリ級でしかないんだから」(最後の発言は、私の理解の限界を超えていて、どう考えてよいのやら、頭が混乱しました)といった反応に次々とぶつかり、いつまでも脱原発と騒ぐなんて流行遅れみたいな空気を感じてしまふ(気のせい?)。

 まだ原発事故終わっていないし、今度どこかの原発が重大事故起こしたら日本は終わりだと思うのですが。
 
 ともかく、1月に観た映画は『地球にやさしい生活』(この題名なんとかならんか)と『アンダー・コントロール』でした。どちらも、原発関連といえますねー。

 

 http://yasasii-seikatsu.com/
 
 この映画で記録された実験を行ったColin Beavans氏のブログが、これ。

 No Impact Man

 上記の映画がアメリカ発なのに対して、下は、ドイツの原発の今を淡々と撮ったドキュメンタリー。

 

http://www.imageforum.co.jp/control/


 ドイツの、テロリストが原発を攻撃した場合の備えとか、実際に世界各地で起こった原発事故の原因を再現して、それに対してどう対処するか、どう防ぐかを研究している研究所の様子などを観ているうちに、日本では馬鹿にして最初から「想定外」として考えないようにしていること、あるいは直面を避けていることを、(この映画からの印象では)ドイツは直視し目をそらしておらず、できる限り、原子力という巨大な力を人間の「アンダー・コントロール」に置こうという強い意志をもって、真摯な努力を重ねていると感じ、ああ、日本は原発持ったらあかんとつくづく思いました。

 ドイツのように真剣に原子力に対峙していない国家は、原発を持つと危ない。無責任だと思う。
 自国だけでなく、世界に対して申し訳がたちません。

 安全性を現在の技術力の限界ぎりぎりまで懸命に追求するかわりに、お金と言葉で「安全である」という宣伝をすることに力を注いでいるような国は、原発を持つ資格がないと私は思います。

 というわけで(?)、今読んでいるのは、『原発危機と「東大話法」』なのであります。

 上手く言えないのですが、言葉というのは思考や行動の基礎なので、言葉という道具の使い方はすごく大事な問題だと、この頃、非常に思うところがあり、こういう本を読んでいるわけです。

 

原発危機と「東大話法」―傍観者の論理・欺瞞の言語―

原発危機と「東大話法」―傍観者の論理・欺瞞の言語―

 それと並んで、『犠牲のシステム 福島・沖縄』を読んでいます。

 

犠牲のシステム 福島・沖縄 (集英社新書)

犠牲のシステム 福島・沖縄 (集英社新書)

 小出裕章先生に倣って、極力電力を使わないでと努力しているのですが、手がかじかんで寒いので、本日はこの辺で。

 はるる