根拠なき楽観的空気

 おお、これは、と思った記事(2012年2月8日の日経オンラインに掲載されたインタビュー記事)から一部引用。

 太字強調部分は、引用者である私によるものです。

―― しかし、幸いなことに、今回の事故では、新たな水素爆発も、地震津波の再来襲も起こらず、安定冷却に漕ぎ着けることができた。それで、田坂さんは、この事故が収束に向かったのは「幸運だった」と言われるのですね?


田坂:そうです。もちろん、事故が収束に向かったのは、何よりも、福島原発の現場で、冷却システムの設置やプールの構造体の補強など、様々な作業に携わった方々の献身的な努力のお陰ですが、その努力が水泡に帰する最悪の出来事が起こらなかったという意味では、やはり、「幸運だった」と言わざるを得ないのです。


 そして、私が、敢えて、この「幸運だった」ということを申し上げるのは、いま政界、財界、官界のリーダーの方々の中に、「根拠の無い楽観的空気」が広がっているからです。残念ながら、これらのリーダーの方々の中には、今回の事故の深刻さを直視することなく、また、事故原因の徹底的な究明をすることなく、「もう福島原発事故は収束した」「もう同じ事故を起こすことはない」という楽観的意見を語る方がいます。


 実は、そうした「根拠の無い楽観的空気」こそが、今回の福島原発事故を起こした遠因であることを、我々は、肝に銘じるべきでしょう。


 実際、3月11日以前に、「想定よりも高い津波が来る可能性がある」「全電源が喪失する可能性がある」との指摘はあったわけですが、それらの指摘に対しても、「そうした極端な出来事は起こらないだろう」という楽観的空気が、事前の対策を怠らせたわけです。このことの真摯な反省が無ければ、我が国は、また、同じ過ちを繰り返すことになると思います。


―― この「幸運だった」という現実は、リスク・マネジメントの観点から見ると、どのような意味を持つのでしょうか?



田坂:「幸運だった」ということは、リスク・マネジメントが有効に機能していないことを意味しています。なぜなら、リスク・マネジメントにおいては、そもそも、二つのことが極めて重要だからです。


 一つは、「起こった危機の原因、経緯、現状が、明確に把握できていること」。
 もう一つは、「起こった危機への対処、管理、制御が、明確にできること」。

 もとより、真のリスク・マネジメントとは、未然の対策によって危機を発生させないことですが、もし、不幸にして危機が発生してしまった場合にも、この二つのことができていれば、リスク・マネジメントは、それなりに有効に機能します。すべてが「人知の及ぶ範囲」にあるからです。


 しかし、残念ながら、福島原発事故は、この二つとも極めて不十分な状況でのリスク・マネジメントになってしまったのです。すなわち、それは、「人知の及ぶ範囲を超えた状況」になってしまったということであり、事態の推移を、文字通り「運」に任さざるを得ない状況になってしまったということなのです。


 ある意味で、リスク・マネジメントの専門家から見た福島原発事故の問題の深刻さは、事故が起こったことだけでなく、事故の原因、経緯、現状が明確に分からないこと、事故への対処、管理、制御が十分にできないことだったのです。


 この「事故の原因、経緯、現状が明確に分からないこと、事故への対処、管理、制御が十分にできないこと」は、まだ何も解決できていないのに、事件はもう終わったものという空気が日本社会の中で強くなってきているように、私は感じています。(気のせいだといいですが。)

 そして、脱原発を口にするのは、ダメという風な空気がゆっくりとひろがってきているような。脱原発関連の話題をうかつに出すと「空気が読めない人」になる感じと言いますか(-_-;)。

 
 福島だけが苦しみを背負わされて、福島だけがスケープゴートとして、日本という「世間」から「お祓い」されて、それでこの事故は「終結した」という、そんな恐ろしいことになってしまうのではという恐怖。

 「忘却しないこと」は抵抗の一種だと最近、つくづく思っています。

 私も、意識していないと、あっさりと日常に流されて、自分の眼の前の仕事にかまけて、間違った意味での「今だけ」を生きてしまいそうで、注意しているのですが…。

 とりあえず、このインタビューを受けている田坂広志さんの『官邸から見た原発事故の真実』を読んでみようと思っています。

 

官邸から見た原発事故の真実 これから始まる真の危機 (光文社新書)

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 はるる