こうなったらRFK月間ということで

 3月1日からずっとボビー、ボビーと騒いで軌道修正できないまま、ああもう月末はすぐそこ。
 こうなれば「毒を喰らわば皿まで」の心境で、3月はボビーについて書きます。4月になったら仕事が忙しくなってあまりRFKと騒いでいられなくなるのは、火を見るより明らかなので。

 仕事の合間の息抜きで、見つけたブログ。映画『ボビー』の感想なのですが、いやあ、ボビー崇拝者としてはとても嬉しくなることを書いておられますので、TBしてしまいます。

 http://marumi.tea-nifty.com/gammaru/2007/03/post_d535.html

 ロバート・ケネディが政治活動を行っている映像が流れたとき、私はもう、映像を観ただけで、
「この人は政治家ではない」
と強く感じた。何だろう、この慈悲深い姿は。ロバート・ケネディは、貧困地区を視察し、その実像から目を背けることなく、そこで多くのものを受け取っていた。私はすぐに、現代の政治家を思い浮かべた。現代の政治家は、貧困地区を視察したりはしないのではないだろうか。ロバート・ケネディは、私が認識している政治家とは、顔の表情がまったく異なっていた。そして、気がついたのだ。私が政治家だと認識している人たちは皆、政治家という職業を演じている人だということに。政治家という職業を演じている人たちと、真に人の上に立つ人とは違うのだ。ロバート・ケネディは、真に人の上に立つ人だった。

 真に人の上に立つ人は慈悲深く、人種差別をしない。ロバート・ケネディは、国と国の違いを認めようと、政治演説の中で人々に訴えかけていた。力のこもったその政治演説に、彼の慈悲深さを感じて感動せずにはいられなかった。長い長い政治演説を、紙に書いた内容を読み上げるのではなく、自らの中から導き出しているという印象を受けた。そう、自発的に湧き上がって来るエネルギーを感じたのだ。ロバート・ケネディは、ベトナム戦争にも反対し、自分の国が平和でないのに、他の国に遠征すべきではないと訴えかけていた。真に人の上に立つ人は、政治演説をしても真実の言葉を使う。当時の彼の政治演説が大きなスクリーンに映し出されると、政治演説なのに、何故か聴いているだけで涙が出て来る。何故、涙が出て来るのだろう。何故ならそれが、真実の言葉だからである。


 RFKに関しては、2004年にPBSがドキュメンタリーを放映しています。トランスクリプトを見る限り、素晴らしい出来ではないかと期待度大。

American Experience: Rfk [VHS] [Import]

American Experience: Rfk [VHS] [Import]

 実は今回、長い間の迷いを振り切って、とうとうこのビデオ(でないと日本で見られない)の購入に踏み切ってしまった私^^;。いいのか・・・。


 ところで、トランスクリプトを読んでいて、ありと思ったのは、司法長官時代のボビーが公民権運動に対して態度を変える転換点についてのくだりでした。
 この番組ではこうなっています。

http://www.pbs.org/wgbh/amex/rfk/filmmore/pt.html から拙訳。

 ナレーター:「1963年3月3日、キングは人種隔離を続ける店をボイコットするために、非暴力の抗議者たちをバーミンガムに送り込んだ。警察が彼らを追い散らすために高い水圧の放水器を使っている間、ボビーは全てをテレビで観ていた。抗議者たちの多くは子どもたちだった。ボビーは激怒した。(中略)
 アンソニー・ルイス:「警察署長はデパートで公平に扱われたいと求める人々に警察犬をけしかけ、消防用ホースを使っていた。それは、彼(ボビー)のモラルのど真ん中を突いたんだ。この事件は全くロバート・ケネディを変容させた。彼は、人びとが大人しくなって、(変革を要求する)スピードを緩め、漸進的な改善をすすめていくことがいいことなのかどうかを考え始めた。ボビーは人々は待てないのだということを学んだ。それに、黒人には今すぐに基本的な権利をもらう資格があったんだ。」
ナレーター:「その夏、ボビーは彼の兄に公共施設において人種隔離政策を終わらせる公民権法案を議会に提出するよう強く迫った。しかし、大統領と彼のアドヴァイザーはためらった。」

 この後、ボビーは大統領にこの問題はモラルの問題で、大統領はそれにリーダーシップを取らねばならないのだと納得させて、JFKアメリカ史上初めて、公の場で公民権について、また人種問題はモラルの問題なのだと述べた大統領となったという風に話は進んでいくわけですが、ボビー変容の鍵は子どもが酷い目にあっている映像を観たことにあったというわけですね。そのほうが、彼の性格からして納得いくなあ。
 
 というところで、本日はこれまで

はるる