RFKの墓碑銘

What I think is quite clear is, is that we can work together in the last analysis and what's been going on with the United States over the period of the last three years, the divisions, the violence, the disenchantment with our society, the divisions whether it's between blacks and whites, between the poor and the more affluent, or between age groups or the war in Vietnam, we can start to work together, we are a great country, a selfless country, a compassionate country. And I intend to make that my basis for running over the period of the next few months.

私が考えていることは非常に明快なことです。最終的な分析をすると、我々は共に取り組んでいけるということなのです。ここ3年以上も、アメリカ合衆国では不和、暴力、幻滅が社会にはびこってきました。黒人と白人の間であろうと、貧しい者ともっと富をもつ者の間であろうと、あるいは同世代人の間であろうと、ベトナム戦争を経験した者であろうと。我々は再び共に取り組むことができるはずです。我々の国は偉大な国であり、寛大な国であり、憐れみ深い国です。そして私はそれを自分の行動基盤にしていくつもりです。
(ロバート・ケネディ最後のスピーチ。日本語訳は映画『ボビー』のパンフレットより引用)

So, my thanks all of you and now, it's on to Chicago, and let's win this!"


 こう言った数分後、銃弾を頭に受けたロバート・フランシス・ケネディは、次の日、1968年6月6日に死にました。
 享年42歳。


 ニューヨークのセント・パトリック教会での葬儀で、エドワード・ケネディがした追悼演説は絶唱で涙を誘われます。(ここで聴けます↓。)
 

内容はここでどうぞ。

http://americanrhetoric.com/speeches/ekennedytributetorfk.html

 その中の一節。

My brother need not be idealized, or enlarged in death beyond what he was in life, to be remembered simply as a good and decent man, who saw wrong and tried to right it, saw suffering and tried to heal it, saw war and tried to stop it.


「私の兄は・・・・・・間違いを見て正そうとし、苦しむ人を見て癒そうとし、戦いを見て止めようとした人として記憶されるべきなのです。」


 私は、RFKはヘンリー・ナーウェンの言うところの「傷ついた癒し人」(Wounded Healer)だったのだと、思っています。この世の痛みにつながっていたというのは、そういうことだった、と。(追記:ちょっと、持ち上げ過ぎだったかな。でも、少なくともその道をしっかり歩んでいた人だと思います。あのまま成長し続けていれば、きっとすばらしい「傷ついた癒し人」になったはず。)

傷ついた癒し人―苦悩する現代社会と牧会者

傷ついた癒し人―苦悩する現代社会と牧会者



 私が好きな葬儀のときのエピソード。

 ボビーの葬儀の時、民主党の実力者でRFKの最も強力な支持者だったシカゴのデイリー市長が号泣し、後ろの席でトム・ヘイデンが静かに一人で涙を流していました。
この光景を目にしたニューフィールドはカミュが引用していたパスカルの言葉を思い出します(拙訳)。(Robert Kennedy and His Times 915p)

 その人の偉大さは、なにか一つの極端であることによって示されるのではない。むしろ、同時に二つのものに触れていることによって示されるのだ。


 右翼の親玉みたいなリチャード・デイリーと、左翼の指導者「革命家」のトム・ヘイデン両者から、こんな風に悼まれるというのはスゴイと思いましたよ。

※デイリーは、映画『13デイズ』でJFKが大見得きったくせに結局怖くて会いに行く相手。デイリーのおかげでニクソンに勝てたんだから、頭があがらないのは当たり前。
 

 なにせ二人は、この年の8月、シカゴでの民主党大会をめぐって激突しますからねえ。この民主党大会は民主党の大統領候補者を指名する大会で、撃たれる直前のケネディはこれにも勝とうと言ったのよね・・・(;_:)。
 R・ケネディ vs ニクソンになれば、ケネディが勝つという世論調査結果も出ていたのに〜(T_T)。



 RFKのお墓は、アーリントン墓地のケネディ大統領のお墓から少し離れたところにあります。白い小さな十字架があるだけの簡素なお墓です。これは、生前の彼がそう希望していたからだそうです。(残念ながらまだ墓参りに行ったことがない。いつか行けるものなら行ってみたいです。)
 その墓地について、こう書かれているブログを見つけました。

 http://blogs.itmedia.co.jp/speedfeed/2006/09/13_days_60fb.htmlより引用。

まだ20代の頃、ワシントン近くのアーリントン墓地に行った。高校生のときに、ソレンセンが書いた『ケネディの道』という本に感銘を受けて以来、一度はケネディ兄弟の墓参りをしようと思っていたのだ。

実際にいってみると、JFKの墓は大きく、華やかだった。多くのひとがその前を行き交っている。
ところが、弟であるロバート・ケネディの小さな墓石の前では、初老の黒人女性が嗚咽しながら祈っていた。
この光景に衝撃を受けて以来、僕はロバート・ケネディを敬愛し続けている。

 これは見事にジャックとボビーの違いを象徴するなあと感銘を受けました。ボビーにはこういう光景が似合います。


 初めてRFKの墓碑銘が何かを知ったとき、ああ、RFKの人生をまさに象徴していると思って心打たれました。
 それは、アイスキュロスの詩の一節で、生前のボビーが愛唱していたものでした。キング牧師の殺された夜の演説でも、彼はこれを引用しています。(拙訳)

He who learns must suffer. And even in our sleep, pain that cannot forget falls drop by drop upon the heart, and in our own despair, against our will, comes wisdom to us by the awful grace of God.

学ぶ者は苦しまねばならない。我らの眠りにおいてさえ、忘れえぬ痛みは心に一滴また一滴としたたり落ちる。そして、それは我らの絶望の内に、我らの意志に反して、神の畏るべき恩恵によって我らのもとへ英知として、来る。

 Pray for us, Bobby.


 はるる