1984より1968

 大変ご無沙汰してます。
 いつまでも雨でいやですね。今日は、珍しく晴れましたが。


 私は、怒涛の7月をなんとか生き延びました。
 7月下旬は仕事が押し、連日夕食が夜9時過ぎでへとへとになりました。


 明日からしばらく俗世間から離れて、お籠りします。お盆過ぎまで更新は確実にありません。


 なので、今日はまだ片付いていない仕事を朝からバリバリやるぞ!と思ったのですが、身体はそれを拒否。

 もう体が動かず、これを無理して仕事すると心が折れるという予感がしたので、無理するのをやめ、大人しくしてました。

 リフレッシュした後、頑張ることにします。

 …お籠りから戻ってからが、地獄だなあ。


 世間では、何やら村上春樹の『1Q84』が売れているようですが、私が今読んでいるのは、小熊英二氏の『1968』上巻です。

 1968年こそが、今の私には集中すべき年なのです。1984年は、まあいいや。


 この本、上巻だけで1,000ページ超えてます。
 今月出る予定の下巻もたぶん同じくらいのページ数でしょうから、なんとなく、チョモランマ登山に臨む気分です。

 8月中に上下巻とも読み終わるのは…無理でしょうね。仕事たまっているし。(T_T)


1968〈上〉若者たちの叛乱とその背景

1968〈上〉若者たちの叛乱とその背景


 昨日『研究する意味』を読み、目を大きく開かれた思いがしました。

 自分の中でもやもやしていて、何かが変だと感じつつも言語化できなかったことについて、ある方向に向かってぐっと押しだされた感じです。

 これを読むことを通じて得たものを、もう少し深めていくことが、大事な作業のように思われます。


 

研究する意味

研究する意味


 明日の新幹線で何を読むか、考え中。
 まさか『1968』は持ち歩けませんからねえ。(持ち歩いて読んでいたら、凄いな)。

 新書になりますかね。

 あ、この間仕事で上京した際、往復車中で『彼女がいる背表紙』を読み終わりました。
 堀江さんの文章を堪能しました。
 

 

彼女のいる背表紙

彼女のいる背表紙


 それでは、よい夏をお過ごしください。

 もう梅雨が明けて、夏らしくなるといいですね。


 はるる