桜満開の中の読書

 こちら、「はるるの勝手に独り言」です。

 

 あちらこちらで桜が今を盛りと咲いていて、うららかな日です。

 仕事の傍ら、ぼちぼち読書しています。

 

 ところで、前回の投稿の時に最後に触れた『守教』の中に、帚木氏がカトリック信者に確認してくださっていればと思った明らかなミスが一つ。

 それは、小説中に繰り返し出てくるロザリオの祈りとして、ファティマの聖母の祈りもするとなっているところです。ファティマの聖母出現は20世紀のことで、キリシタン時代にはあり得ないので。

 

 なお、『守教』に出てくるキリシタンたちが言う言葉が、マザーテレサの言葉のもじりだったり、ラインホルト・二ーバーの祈りのもじりだったりして、非常に心構えとして立派だったのには、読みながら背筋が伸び、自分の信仰を顧みてしまいました。

 

 今は、少しずつ堀田善衛の『ミシェル 城館の人』を読んでいるところです。

 全三巻本のうち、第一巻は読み終わって、今は第二巻の途中。

 フランスのカトリックユグノーの抗争が繰り返されていたヴァロア王朝末期の様子がよく分かります。堀田さんの勉強ぶりと筆力に脱帽しつつ読んでいます。

 

 

 で、その合間に友人から、今ベストセラーの『一切なりゆき』を読みました。この樹木希林語録を読んで、その我が道を堂々と歩んで動じない生き方に、人間としてすごかったんだと樹木希林さんへの認識を新たにしました。

 おおっと思ったのは、娘さんが希林さんが先に死んで、お父さん(内田裕也)が残ると困ると思い、占い師に尋ねたら、その占い結果が「お母さん(樹木希林)が死ぬときには即座にお父さんの襟首つかまえて逝くから大丈夫」というものだという箇所ですね。

 この個所を読んだときは、まだ内田裕也さんは生きておられ、「ふ~ん、本当にそうなるのかしら」と思いつつ読んだのですが、先日、本当に樹木希林さんが亡くなって半年ほどで逝去されたというニュースに接して、お~っ!と驚いた次第。

 

 

 あと、亡くなった人つながりというわけでもないですが、ドナルド・キーンさんの自伝を購入して、ちょっぴり昨日から読み始めました。

 まあ、ほかにも仕事関連で読んでいるものもありますが、それはマニアックなので横に置いときます。 

 

 はるる