Le Soleil

 karposさんと二人で映画Le Soleil(The Sun)を観てきました。いやあ…なんとも。
 http://www.kinoglaz.fr/soleil_sokourov.htm

 昭和20年の昭和天皇を尾形イッセーが演じているこの映画、観ている間中、摩訶不思議な気分がしてました。(イッセー尾形の芸を二時間にわたって見たという気がしないでもない。)
 ここに描かれている天皇をどう表現したらよいのか。
 一種浮世離れ、現実から乖離した存在として描いているのかなとも思いましたが、人間であり、自分は人間だと自覚しながら周囲から神扱いされ、全てを受け止め民のことを思う「神」としての役割をそれなりに誠実に果たそうとして大きく空回りした人という描き方をしているという印象もあります。
 ただ、昭和天皇の戦争責任関連の書籍をいろいろと読んだことのある私は、その内容を映画の最中にワーッと思い出したもので、この映画で表現された天皇像に対して、それだけではないよねえ…と大変複雑な気分です。
 うーん、感想を書くのが、恐ろしく難しい映画ですわ。出来ることなら、もう一度じっくり観たいです。

 それにしても、Hirohitoについて何も知らないフランス人がこの映画を観たら、昭和天皇に対して、一体どんなイメージを抱くのか。周りのフランス人に感想を聞いてみたかったです。
 Pearl Harbor攻撃の命令を私は出していないという主旨の発言をマッカーサーに対してするシーンが確かありましたが、この映画での天皇は軍とか政治とかに政治家的には関係せず、そのコミットの仕方が超越的な感じというのか、全てのものの上に置かれているというか、そんな表され方をしているように感じられました。
 マッカーサー昭和天皇と第一回目の会見を終えた後、"He is like a child."と言ってましたが、そういう天皇像ですね。とにかく普通の生活をしていない者独特の妙な無垢さというか、世間知らずのぎこちなさというか、そういうものを一杯持っているんだけど、だからと言って馬鹿というわけでもない。結構頭が切れるというか、したたかな部分もあるぞと感じさせる場面もある。(実際頭のいい人だったらしいですしね。)
 あーうー。む、難しいです。
 映画を観た後で、こんなに悩むのも初めての経験です。「ホテル・ルワンダ」とか「戦場のピアニスト」とか「ショアー」を観た時とはまた全然違う。 主題が昭和天皇だからなのか。うーうー。天皇をすごく人間的に、それも肯定的な意味で人間的に描いているあたりが監督さんの意図かなと思ったりしてますが、はて。

 監督のAlexander Sokurov氏はどういう意図でこの映画を作ったのか?頑張ってフランス語のインタビューを読むか(ため息)。
 個人的には、彼が以前作ったヒトラーについての映画 Molokh(Moloch)も観てみたいです。あと、「ヒトラー最後の12日間」も観たい。そしてこの映画と比較してみたい。あれもヒトラーを人間的に描いていると評判になった映画でしたよね?

 ところで、役者さんはみんな上手かったですね。佐野史郎さんがしていたのは、内大臣木戸幸一ではないかと思ったんですけど、確信がない。クレジットを確認しようとしたんですが、なんか役の個人名はでてなかった気がする。イッセーさんだってemperorだけだったし。
 また、最後に皇后役で登場する桃井かおりの存在感すごい。感心しました。
 そして、お互いが「あ、そう」「あ、そう」と言い合うだけで会話が進むあたり、似たもの夫婦…と笑ってしまいました。
 
 天皇が短歌を詠むシーンや皇后に自作の短歌を披露する場面を見ると、古来より天皇の一番大切な務めは和歌を読むことだったと丸谷才一が書いていたことが思い出されましたね。(ついでに言えば、昭和天皇の会話の下手さの原因とその大いなる問題性について論じた丸谷さんの本もね。)

ゴシップ的日本語論

ゴシップ的日本語論

 ※確か、この本だったはず。違ってたりして。
 
 『対論 昭和天皇』の中に昭和天皇の短歌を分析した一章があったことも思い出しました。帰国後、ヒマができたら読み返してみよう。
対論 昭和天皇 (文春新書)

対論 昭和天皇 (文春新書)

 ま、いろいろとトリビア的に楽しませてもらった映画でもあります。
 コミュニケーションが下手で如才ない社交的な会話が不得意だったと言われる昭和天皇の会話のぎこちなさとか、天皇を神をたてまつっている周囲の奇妙さ(お年寄りの侍従は妙だった)とか、恐れ多いとされたばかりに食べ方のマナーを皇太子時代に渡英するまでしつけられず、ひどいマナーだったといわれる食べ方の残滓をマッカーサーとの会食で垣間見せるシーンとか、いつもドアを開けてもらっていたので、最初の会見が終わってマッカーサーからもう帰っていいと言われた時、ドアを開けるのにいささか難儀するところとか、ギャグ映画かって感じ。(個人的に一番受けたのはハーシーのチョコレートの場面かな。「はい、チョコレート、終わりー。」)
 アメリカ人の兵士たちが天皇を撮影しに来るところとか、もう笑ってしまいました。
 ただ、日本語ではEmperorを「テンノーヘイカ」というのだと教えられた兵士たちが上手く言えずに、ええい面倒だ、Tennesseeでいいやと昭和天皇をTennesseeと呼び、はては撮影に応じる昭和天皇チャップリンに似てるとチャーリー、チャーリーと呼ぶこのシーン、可笑しいのと同時に、国のトップである人に対してこの態度かい…と敗戦国のやるせなさを感じました。
 自分のやり方でしか相手を把握しない、そういう態度は占領政策においてよろしくないと思うよ〜、イラクで同じことしてないかい?君たち。なーんて思ったりして。
 そうなのだ。このすっきりしない気分の中には、私の愛国的感情というのか、仮にも我が祖国の頭であった人なんだからもう少しスマートになんとかならんかと、マッカーサーとの会見シーンの度にやきもきしてた気持ちがあるんですよねー^^;。いやはや。保守王国愛媛出身ですからねえ(って何の言い訳にもなってない。)

 あの日系二世らしき通訳もなんとも切なかったな、そういえば。

 とういわけで、簡単に感想を書くはずが、予想外に時間をとってしまったので、今日はこの辺で。

 はるる