ヨハネ・パウロ二世

 昨夜、教皇ヨハネ・パウロ二世が逝去されました。長い間、教皇のあまりにも苦しげな姿を見続けていたので、悲しいというよりも、やっと苦しみから解放されてよかったという思いの方がずっと強いです。

 私が洗礼を受けたのは15年前なので、コンクラーベカトリック信者として体験(というのも変かも知れませんが)したことがありません。そのため、不謹慎ながら、これからのヴァチカンの動きに興味津々です。ちょっと楽しみだったりする。大人になってから信徒になったせいか、教皇に対する思い入れが少ないからでしょうか。フランスとかイタリアのようなカトリック国にいると、人々や社会の反応はまた違うのかな。
 それはそうと、日本自体がキリスト教国ではないからか、教皇死去が夜7時のNHKニュースの開口一番のトップニュースではなかったことが、ちょっと驚きでした。落雷を受けたサーファーの方たちのことも、もちろん大切なんですけれども。
 
 BBCのウェブサイトに行ってみると、ヨハネ・パウロ二世が遺したもの(legacy)の評価が載っていました。
 Legacy of Pope Jhon PaulⅡという記事です。
 それを見ると、プラスの評価としては、教皇が世界中を旅してまわることで、カトリック教会の存在を世界に示すと共に、社会正義への強い関心を抱いていたことで、東欧の社会主義体制の崩壊に大きな役割を果たし、単なる精神的指導者であるに留まらず、平和を求めて世界の外交の表舞台でも活躍し、更に他の宗教との和解に努めたといった点があがっています。
 なお、信仰面において、保守派であったということも指摘されています。ヨハネ・パウロ二世の死を受けて、女性司祭問題に関する論議は解禁されるでしょうか?(私は少なくとも、歴史的見地からいくと、ヴァチカンは女性の助祭を認めてくれてもいいのではないかと思っています。)
 それと同時に、この記事は、ヨハネ・パウロ二世時代、ヴァチカンの権力が巨大になり過ぎ、ローカルチャーチを(いうなれば)ないがしろにしたという批判があることにも触れています。イギリスのカトリック雑誌、The Tbletの前編集長であるJ・ウィルキンス氏は、ローカルチャーチの不満が、今度のコンクラーベでローマ聖庁への反発として出るのではないかと予想していますが、さて、どうなるか?
 ウィルキンス氏は、「ヨハネ・パウロ二世は21世紀の最初の教皇というよりも、20世紀の最後の教皇だった。」という評価を下しています。私も、そうだなという気がしますが・・・・。

 次の教皇にどなたが選出されるでしょうかねえ。期待半分、不安半分というところです。アフリカとかラテン・アメリカから選出されないかなあ。でも、その人があまり保守的だったらいやだし(と、勝手なことを言う)。

 ハンス・キュングが The Catholic Churchという本の最後の部分で、私たちはヨハネ・パウロ三世を必要としていない、今我々に必要なのは、ヨハネ24世であり、彼は第三ヴァチカン公会議を開くべきであると書いていましたが、はてさて。

The Catholic Church: A Short History (Modern Library Chronicles)

The Catholic Church: A Short History (Modern Library Chronicles)

はるる