『1968』その1
前回は、なんだか永平寺の悪口になってしまいましたが、自分の日常生活の中で、雲水たちの修行風景を思い返すにつけ、他人の修行の形骸化を云々するより前に、まず自分だな〜と反省。
たとえ形だけだとしても、一年間だけだとしても、とにかくそれをやるというのも、すごいことですからねえ。
と、反省が済んだところで。
最近の読書傾向は、古代ローマ帝国について読んだ後、韓国民主化闘争について読んだりしており、時空をあっちこっち移動するので、少々頭がごちゃつき気味です。その合間にRFKだし(^_^;)。
で、RFKと韓国民主化闘争関連で1960年代および70年代を調べていて、そういえば1960年代は第二ヴァチカン公会議があった時だけど、いま一つこの時代が掴みきれないなあと思い、第二ヴァチカン公会議をよりよく分かるために背景となった時代を理解しようという大義名分のもと、まず手に取ったのが『1968 世界が揺れた年』でした。(まだ読み終わっていない。)
…もっとも、この年はRFKも暗殺されているので、彼のこともちょっと出てくるかなという下心があったことは認めます、はい。
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1968年は、プラハの春は起こるわ、パリの五月革命は起こるわ、キング牧師もRFKも殺されるわ、アメリカの学生運動は過激化するわ、ベトナム戦争は泥沼化してるわ、ウーマンリブは燃え盛るわで、もうてんやわんやという感じ。
そもそも私はこの学生運動というのがどうも腑に落ちなくて、ああ、もっと勉強しないといけませんと痛感した次第。
現教皇のラッツィンガーもドイツの過激化した学生運動に衝撃を受けて方向性が変わったということですし、第二ヴァチカン公会議後の教会の危機の原因の一つに、教会が1960年代末の時代の雰囲気に過度に影響されたことが指摘されていますし、解放の神学も、韓国の民衆の神学もこういう時代背景抜きには理解できないでしょうから、もうちょっと60年代を調べてみようと思っています。
ところで、『1968』を読んでいたら、ちゃんとRFKのことが出てきて、それがとても私好みに書かれていたので、一人でにやついてました。
次回にでも抜粋を載せようと思っています。
ええ、もう完全に自己満足です。
ここは素直にRFK月間にしておくべきだったか(~_~;)。
なにせ、『13デイズ』絡みで、図書館で偶然、キューバミサイル危機の間録音されていた会議の内容を一人ひとりの発言を再現した上で分析している本を見つけてしまい、それも借りちゃったし。(いつ読むんだ!)
The Kennedy Tapes: Inside the White House during the Cuban Missile Crisis
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ところで、『1968』の中で、カナダのピエール・エリオット・トルドーがこの年首相に選ばれたという話が出てきたのですが、この人、面白い。俄然、興味を持ちました。
どんな人だったかというと、こういう人です。
46歳で独身のトルドーは国民が会って触れ合い、キスをしたがるタイプの政治家だった。彼は奇抜な服装やサンダルやグリーンのレザーコート、予測できない奇行でも知られていた。法案の束を抱えたまま下院の階段を滑りおりたこともあった。ヨーガを行じ、スキンダイビングを好み、空手は茶帯の腕前だった。(『1968』下巻255p)
大半のカナダ人はベトナム戦争に反対していたが、トルドーは爆撃はやめるべきだと思っているものの、アメリカに指図するつもりはないと発言していた。典型的な「トルドー語録」は、「われわれカナダ人はアメリカもあれで主権国家であることを忘れてはならない」というものだった。トルドーは、かつてモスクワでスターリン像に雪玉を投げつけて逮捕された経験があった。そのくせ、時として共産主義者と非難されることもある。一度、コミュニストなのかとつっこまれ、トルドーはこう応えている。「実はカヌーイスト(カヌーのこぎ手)なんです。マッケンジー川、コッパーマイン川、サゲネー川をカヌーでくだったことがあります。船舶のなかではカヌーがなによりも航海に適していることを証明したかったものでね。1960年にわたしはフロリダを出航してキューバをめざしました。とても不安定な海流が流れているところです。人によっては、わたしがキューバに武器を密輸しようとしたと思ったようです。でもお尋ねしますが、カヌーでどれほどの武器が運べると思いますかね?」(下巻256〜257pp)
トルドーが2000年に亡くなったとき、共にお棺を担いだ人として、アメリカのカーター元大統領と、キューバのカストロ議長がいたそうな。なんか、すごい気がする。
というところで、本日はこの辺で。
はるる