ジョージ・ハーバートの詩
東京は今日一日、雪。こんなのは久しぶりです。朝と夜と二度雪かきしただけで、腕が筋肉痛。雪国の方々のご苦労が偲ばれます。
ところで、昨日、友人と共に、東京国立博物館に「書の至宝」展に行ってまいりました。
東京国立博物館
人間が自らの手をもって筆で書いた字の持つ力に触れた思いがしました。
何度もいろんな人の作品に出てくる「風」という漢字の美しさ。
美しい漢字とひらがなに目と心が洗われました。
個人的には、王羲之と趙孟頫の字が好きかな。素人目には、大胆に破天荒に冒険するという書ではないように感じられましたが、私自身がそうだからなあ。
聖徳太子が書いた「法華義疏」を見られたのも嬉しかったですね。(聖徳太子と聞いた途端、自動的に山岸涼子が描く皇子の顔が浮かんでしまいましたけど。)
本阿弥光悦の字もいい感じ。ひらがなが美しい。
書には人を癒す力があるということを感じさせられた展覧会でした。書ってすごいんですね。
私はとっても字が下手なので、自分の字を見るのは非常に抵抗感があるんですが、ちょっと最近思うところもあり、手を使って字を丁寧に書こうと思った次第。
さて、突然ですが、今日はジョン・ハーバートの「愛」と題する詩を引用したいと思います。私にとってのイエスは、この詩に出てくる〈愛〉です。現在シモーヌ・ヴェイユモードになっているので、これを引用したくなりました。晩年のシモーヌはこの詩を「世界で最も美しい詩」と呼んで愛唱していたので。
〈愛〉はわたしを招きいれた。だが、わたしの魂はひるんだ。
埃と罪にまみれた罪ふかい魂は。
炯眼の〈愛〉はわたしの躊躇をみて、
わたしが入るなり、
近づいて、やさしく尋ねた、
なにかたりないものがあるか、と。
「客が、ここにふさわしい客が」とわたしは答えた。
〈愛〉は言った、「お前がその客だ。」
「わたしが、この悪しき恩知らずのこのわたしがですか。ああ、愛するかたよ、
わたしはあなたを見ることさえできません。」
〈愛〉はわたしの手をとり、微笑みながら言った、
「わたし以外のだれがこの目を創ったのか。」
――主よ、そうです。けれどわたしはその眼を穢(けが)してしまいました。
わたしの恥辱にふさわしいところへ行かせてください。
――おまえは知らないのか。だれがその咎(とが)を負ったのかを、と〈愛〉は言った。
――愛するかたよ、それでは給仕をいたします。
――座って、わたしの肉を味わうがよい、と〈愛〉は言った。
そこでわたしは座って、食べた。
はるる
追伸:前回、『カイエ』は高いと嘆き節を述べましたが、ネットで調べてみたところ、古書店にて半額程度にまでお安くなったお値段で入手できることが判明。ちゃんと調べないといかんと反省いたしました、はい。でも、手にいれられそうな値段というのが、また悩むんだよなあ。