RFK本の表紙を考えて

■「身長の2倍日記」

 そもそも、私の英語力より低いレベルの洋書を大量に読むことで英語の力を伸ばそうというのが本来のこの企画の意図だったことに気付き、無理して大人の本を読まなくても子供向けの本を読めばいいじゃん!と読んだのがこれ。

 でも、相変わらずRFK本というところが・・・^^;。
 もう、何も言うまい。


Robert F. Kennedy (Up Close)

Robert F. Kennedy (Up Close)


 著者はイントロダクションで、白黒写真のロバート・ケネディは、古い映画に出てくる、例えばジミー・キャグニー、ハンフリー・ボガート、初期のジャック・ニコルソンが演じていたような、すぐに荒々しい怒りに駆られる「a tough street fighter」みたいに見える、すぐに爆発しそうなこんなヤツに関係したい人はいない、などと書いているくせに、この本の表紙に、選りにも選ってまさにそんな感じがするボビーの写真を使うのは、なぜ?(ーー;)。


 ちなみにこの写真は1966年に撮影されたもので、あの大秀才マック・バンディが議会で(だったっけ)なにやら説明するのを聴いているところです。と、エラソーに薀蓄。


 しかも、アロンソンさんは、白黒写真のRFKへの言及に続けて、カラー写真のボビーは違う人間だ、ここにはもっと柔らかで、魅力的な何かがあるといったことを書いているのです。

 そこまで書くなら、カラー写真を表紙に使ってくださいよっ!

 と言いつつ、私がこの本の表紙を決めるとしたらどの写真にするか、真剣に考えてしまいました。(そんな暇があったら・・・以下省略。)

 で、考えて見てわかったのは、写真の選択は結構難しいということ。
 題名とかが入るということを考慮にいれると、おお、悩む悩む。

 残念ながら、(少なくとも私が知っている)カラー写真だとなかなかいいのがありません。(そもそも、白黒写真に比して、彼のカラー写真自体が少ない。)


 


 これは好きだけど、横の司教をはずしたとしても、本の表紙にはいかがなものか?

 白黒写真では



 とか好きだけど、これもポスターにはよくても、表紙にはちょっとそぐわない感じ。

 というわけで、その難しさを痛感した次第。


 えーと、本のなかで面白いなと思った箇所。

 ・・・ボビー・ケネディとは何者か?

 ケネディは政治家の衣をまとった司祭だったのだろうか?彼は黒人物納小作人たちのなかでも最も貧しい人々に会うためにミシシッピを旅し、自分が見出したものによって気分が悪くなり、打ちひしがれた。窓のない小さな木の掘っ立て小屋で、彼は、栄養失調に苦しみ虚空をぼんやり見ている子供に偶然出会った。涙のうちに、ケネディはそのような怠慢、放置を見るのに耐えることができなかった。世界で最も豊かな国が自国の子供たちをこれほどひどく扱い、無視していることに怒り心頭して、彼は多くの家族のために食料援助を得ようと、こちらのオフィスからあちらのオフィスと駆けずり回った。彼は、何世紀もの間、欲深で鈍感な政府によって自分たちの土地を盗まれ、宗教を抑圧されてきたアメリカインディアンを訪れた。彼は、自身の召命を見つけた男のごとく、見捨てられた者の苦しみや必要に応えたのだった。

 それとも、彼は司祭の服を着た政治家だったのか?彼は自分の将来を討議するために秘密裡に自分のスタッフを集めた。彼はジョンソンに対抗して出馬すべきか?世論調査や政治の専門家の忠告に注意を払い、なりゆきを見守りつつ、何が一番自分にいい動きとなるかを、彼は測っていた。それは最も計算された、百戦錬磨の政治家がする行動だった。(170〜171pp)

 やはり司祭イメージがついて回るんだな、この人には。

 他のこれは!と思った箇所は他日に訳出するつもり。

 「勝手にRFK週間」第二弾が始まるかもしれません。その時はどうぞご了承ください(^_^;)。

 はるる