ダミアンはアンチキリストか

 『オーメン2』の冒頭に、考古学者兼エクソシストのブーゲンハーゲン神父さんが「ダミアン・ソーンはアンチキリストだ!」と断言するシーンがあるのですが、どーも伝統的な概念に当てはめると、そうとも言い切れないような・・・。


 『アンチキリスト』という、「アンチキリスト」という概念がどのような影響と脅威を歴史上与えてきたかを2000年にわたって考察している研究書があって、それをちょっとのぞいて見ました。

 

アンチキリスト―悪に魅せられた人類の二千年史

アンチキリスト―悪に魅せられた人類の二千年史


 そうしましたらば、序文にいきなりこう書いてある。

 アンチキリストは、何よりも人間であるとされる点で、悪魔と異なる。アンチキリストの信仰から生まれる問題は、したがって、悪と邪悪な人間との関係であり、なかんずく、完全な悪人が存在しうるかという問題である。

 (中略)

 アンチキリストの伝説は、完全な悪がある特定の個人の中に実現されうるし、ある人間集団の中に実現されることさえある、という確信に基づいて(いる)。(13p)


 えーと、ダミアンは父親が悪魔で母親がジャッカルという設定だから、そもそも人間じゃないわけで、そうするとアンチキリストって言えないのでは???

 では、正式にダミアン・ソーンは何と呼ぶべきなのでしょうか。難問。

 もっとも、この本第10章「現代におけるアンチキリスト」には、「映画のなかのアンチキリスト」という項があり、「オーメン」三部作が取り上げられています。評価はコテンパンですけどね。
 

 「オーメン」三部作は、それほどの説得力を持たず、ときには馬鹿げたように感じられることさえある。(351p)

  ・・・でしょうね。

 唯一高く評価されている映画は、『ローズマリーの赤ちゃん』。(これは、昔観た。)

 

ローズマリーの赤ちゃん [DVD]

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 第一作目の『オーメン』もこの本でそこそこ評価されているんですが、この二つの映画には共通点があると思いますね。

 前者は知らないうちに悪魔の子を産むはめになった女性(母親)の不安を描き、後者は知らないうちに悪魔の子を育てるはめになった男性(父親)の不安を描いている。

 どちらもアンチキリストそのものではなくその誕生を扱い、それを人間の側の不安と恐怖の視点から描いているので、成功している。

 でも、アンチキリストの視点から描いた『オーメン2 ダミアン』も『オーメン3 最後の闘争』も、陳腐な悪しか描けず失敗しているわけです。

 ダミアン君もねえ、疑惑呼びまくりの変な手段で人を殺すことしかできないからなあ。

 そんなことしたら、疑惑を確信に変えるだけでしょ、頭悪いよ!とつっこみたくなるシーンが、あの映画のところどころあったのは確かだ(^_^;)。

 

 そんなこと言うと、殺すぞー。・・・すみません。


 これまで使用したダミアン関係写真はすべて下記のサイトからのものです。
 いるんですね、海外にはちゃんとJSTファンが。
 今は、彼はイギリスで弁護士しているそうだが(別の説ではオーストラリアでITコンサルタント会社の社長かなんかしてる)。

 いずれにせよ、まっとうな(?)社会人として生きているようで、御同慶のいたりであります。

 http://www.geocities.com/jstomen/

 はるる