シャルトルーズ

 昼間の気温が午前11時半現在で17.5度の涼しいパリに別れを告げて、これから日本に帰国です。

 明日の東京は、予想最高気温、34度…。
 うーむ、倍ですか。
 もう30度以上の気温ってどんなだったかな〜という感じですが、24時間後には、その中で、暑い暑いと言いつつ、慣れていくのでしょうね。

 会議終了後、ヴァカンスと称して三日間、アルプス地方に行ってきました。

 グルノーブルからバスで1時間以上、アルプスの山の中を入った小さな村Saint-Pierre-de-Chartreuseから、またさらに離れた、峠の茶屋のような宿屋に宿泊しました。

 なにせ、車がなかったらどこも行けませんぜ状態の場所で、私たちは車なしで移動しようとしたのですから、これはなかなか大変でした。

 すごく歩いたと同時に、人の情けに本当によく助けられました。
 人間って素晴らしいなあと思ったし、神様はご親切だとも感じた三日間でした。

 グルノーブルというと、確か今話題になっているロマの人々が7月に暴動を起こした街。(ちなみに、フランスのカトリック教会内は、サルコジは心臓発作を起こせ発言をした神父をめぐって真っ二つに割れた由。当の神父さんの教会も、神父さんへの賛成派と反対派に分かれて揺れているらしい。)
 
 ただの通過する観光客だったので、私はその辺りのことはよく分かりませんでしたが、目についたのは、イスラムの人々の多さです。少なくとも、ムスリマイスラームの女性)はよく目にしました。移民が多い街なのか。

 
 ところで、何故に私たち(日本人三人で行きました)がそんな辺鄙な場所に行ったかというと、一つはアルカバス(画家です)の美術館というか、彼の絵で埋め尽くされている教会に行きたかったのと、カルトゥジオ会に行きたかったからです。

 Grande Chartreuse

 
 このカルトゥジオ会の母院そのものは、外から見るだけで中に入ることなどまったくできませんが、そこから2キロ下がったところに、以前は別の目的のために建てられていた17世紀のカルトゥジオの修道院があって、そこが今博物館になっているのですね。

 そこで、中でどんな生活をしているのかとか、カルトゥジオ会の歴史などを知ることができます。

 で、チケット購入時に、その博物館は客の国籍を確認するのですが、その際に日本人が来たのは初めてだと言われました。
 初めての日本人。名誉(?)なことです。

 そこで、カルトゥジオ会の簡単な歴史の本を買って読みました。

 いやあ、この会も激動の歴史を歩んでますねえ。

 この修道院から修道士たちがフランス政府によって追放される、1903年に撮影された有名な写真(だと思うのですが、よく本で見るから)がありますが、その後どうなったのかと思っていたら、修道士はみなイタリアに亡命していたのですね。で、修道院自体は国の財産として国が管理していた、と。

 ただし、ほったらかし状態だったため修道院はひどく荒れてしまっていたそうですが。そして、1940年に修道士たちは戻ってきて、またここでの修道生活が再開されたということでした。

 その写真というのは、こういうものです。(よく本の表紙になっているより劇的な写真は、ちょっとオンライン上で見つけられませんでした。)
 いやあ、ライシテですな。

 


 そういえば、今朝、一緒に朝食を食べつつフランス人にGrande Chartreuseに言ってきたと言ったら、「え?どこ?」と何度も聞き返され、最後に、「Grande Chartreuse!」と叫ばれてしまいました。

 そう、Grande Chartreuse。私が大層苦手とする、あのR音がいくつも入る地名でありました。
 
 当然のことながら、朝食の場は、即座に私のR音矯正のための教育の場と化しました。

 何度もGrande Chartreuseという地名の発音練習と、喉の奥から息を出せと指導されつつ、R音の練習をいたしました。ついでにランスの発音練習も繰り返し、ランスの方は、なんとか、「まあよかろう」ということになりましたが、Grande Chartreuseはまだ精進が必要であります。

 終いには、アルプスの発音矯正の指導も入りましたしね。いやあ、難しいです、アルプスの発音。L音も難しい。

 いやはやフランス語マスターへの道は険しいです。あの音を出しつつ、ぺらぺらとフランス語をしゃべる日本人の皆様は、本当に偉いです。
 
 …私、英語がんばろっと。
 
 では、次回は暑くてたまらない名古屋からの更新となることでしょう。

 はるる