ナチスの子どもたち

 『黙って行かせて』(これは実話だそうです)の書評を見て、私がまず連想した本は、My Father's Keeper という本でした。その後で、B・シュリンクの『朗読者』も連想しましたが。話は脱線しますが、『朗読者』は傑作ですね。第三部は泣きながら読みました。実にいろいろなことを考えさせる小説。これについても書きたいですが、今日書こうと思っているのは、My Father's Keeperのことなので、まずはこれに集中。

My Father's Keeper

My Father's Keeper

 これはドイツで書かれた本で、ちょうど私がシカゴに住んでいた時、英訳のソフトカヴァー版が出版され、書評欄に載った短い紹介文を一読して、「あっ!これは私がこんな本があれば読みたいと考えていた通りの本だ、読まねば!」と本屋に走ったという本であります。
 この本は、副題を読めば察しがつくように、ナチス政権の中核を担った人々、つまり、ヒムラー、ヘス、ゲーリング、ボルマン、シーラッハ、フランクの子どもたちが、戦後どう生きたか、父親についてどう考えているのかを描いたノンフィクションです。この本の著者は親子で、1959年に父親の方が上記の子どもたちにインタビューをして記事を書き、90年代になって、その息子が父親の記事をもとに、再び子どもたちを取材をして書いたという出来上がり方になっています。
 ナチスの高官たちは権力の座にあったとき、おおむね皆若かった。ヒトラーだって自殺したとき、50代前半だったはずですし、多くの人が40代後半から50代だった。ということは、1945年に第三帝国が崩壊したとき、子どもたちは皆小さかったということです。この本に出てくる敗戦時に一番年長だった子どもは、マルティン・ボルマン・ジュニアで、彼は15歳でした。次が、グードルン・ヒムラーで14歳。たぶん一番幼かったのは、エヴァゲーリングで7歳くらいだったと思います。
 こういう子どもたちが、戦後どう生き、父親について、ナチス時代について、どう考えたか、考えているのか。かなりすごい本でした。ぐいぐい引き込まれて、結構一気に読んだ記憶があります。
 で、この本で強烈に印象に残っているのが、上に記した三人なのです。「皇太子」と呼ばれ、ゆくゆくは第三帝国の総統になるべく教育されていたというマルティン・ボルマン・ジュニアと、人生の光と影を二人できれいに分け持ったかのごとき対照的な人生を歩むゲーリングの娘とヒムラーの娘。
 ボルマン・ジュニアは、敗戦時、その身分からして逮捕される危険性ありということで、戦争孤児に化けて逃走し、ある農家に拾われます。名前を偽って、農作業の手伝いをしつつ、彼は新聞で自分の母親が癌で亡くなり、その一年後には父親が、ニュルンベルク裁判で欠席のまま死刑宣告を受けたことを知る。母親の死を知ってもおおっぴらに泣くわけにいかず、一人納屋に行って(だったと思うんですが)泣いたボルマン・ジュニアは、父親の判決を知った時には、意を決して、拾ってくれた農夫に自分の正体を打ち明けます。仰天した農夫は、警察にではなく、神父さんのところに駆け込んで事情を話し、神父さんは神父さんでやはり警察に通報するという発想がなく、ボルマンを修道院に(だった気がするけど、教会にだったかも)引き取って面倒を見てしまう。警察は、当時ボルマン・ジュニアの行方を必死で探していたんですけどね(^_^;)。で、その後ボルマンは神学校に行って、神父さんになってしまう(!)という波乱万丈の人生。(ここまでが1959年の記事内容。)
 なにせこの人、「皇太子」として、徹底的にナチス教育を受けていたため、農家に拾われた時、「天にまします」の祈り(主の祈り)も知らず、不審がられた人なんですから、この人生の大転換は並じゃない。さすがは、皇太子(って意味不明)。59年版の記事の最後は、生きているのか死んでいるのか未だに不明の自分の父、マルティン・ボルマン(第三帝国のナンバーツーだった人)のために毎日祈っていると語る彼の言葉で終わっておりました。
 もっともその後、第二ヴァチカン公会議の後、70年代の終わりくらいにボルマンは神父をやめてますけど。(ううむ、残念。)やめた後、彼は大学でナチスについて教えるようになったんじゃなかったかと思います(私の記憶が正しければ)。90年代版の方では、ネオナチと闘うべく、あちこちで講演会とかしている姿が紹介されていました。もし第三帝国が存続していたら、総統やっていたかも知れない人が、反ネオナチ活動で飛び回っているのだから、人生何があるか分からんですね。
 彼と対照的に、ネオナチに接近して、彼らの間でVIP待遇されることで、自分を保とうとしているのが、グードルン・ヒムラーで、この人の人生はなんだか胸が痛くなります。あのヒムラーの娘だということで、彼女を捕らえた連合軍の将校たちからもひどい言葉を投げつけられ、「優しいパパ」の思い出を死に物狂いで守ろうとして、彼女はどんどん意固地になり(生来頑固な性質でもあったのでしょうが)、ヒムラーの名を捨てようとしないために、就職しようとしても断られるか、雇われてもすぐ正体がばれて一日でくびになるという体験を繰り返す。イギリス・ファシズム党(だったかな)の指導者からイギリスにどうぞと丁重に迎えられ、少しいい目を見たと思いきや、すぐに新聞からバッシングを受けて、一層西ドイツ社会と対立してしまう。とにかく、全てが裏目に出て、暗くて重くて、陰鬱極まりないという感じの人生なのです。
 それと対照的に、ゲーリングの娘、エヴァは誕生の時から、国民の祝福を受け、戦後も周りから愛され、何をしてもプラスに働き、フランコ政権下のスペインに行けば、あのゲーリングのご令嬢ということで国賓扱いされて、帰国後も何も非難も浴びることなく、全て順調。まるで、ヒムラーの娘が彼女の分まであらゆる不幸を背負ってくれているかの如き印象すら受けてしまいました。
 
 この本に出てくる他の子どもたちの反応を見ていると、父親を肯定して戦後のドイツの歴史認識を否定していくルドルフ・ヘスの息子(彼は自分の父が西ドイツ政府の囚人だからという理由で、兵役拒否の裁判を起こして勝訴しています)、逆に自分の父親のやったことを全く許すことが出来ず、徹底的に父親を否定し、貶め、かえって人々の顰蹙を買ってしまうフランクの息子など、なんだか、戦前の日本のしたことをどう受け入れるかで、人々が見せる反応と似ていて、他人事ではないと感じました。
 過去をどう見るか、どう対峙するか、どう受け入れるか。これは、大変なテーマですが、総じてドイツ人はよく見つめている方ではという気がします。その背後に『朗読者』が言うように、いろいろな思惑があったとしても。それにしても見つめるというのは、かなりしんどいことですね。ちゃんと見つめないでしゃべって誤魔化すとか動き回って逃げるとかしたくなりますもの。

 はるる