間違い

 昨日書いた、ボルマン・ジュニアについての記述に間違いがありました。私の記憶では、彼が偽名で隠れていたときに、母の死を知って泣くという場面があったのですが、不安になって本のその箇所を読み返してみたら、そんな場面はなかった。あれれ?その部分は、あっさりとこう書いてありました。(拙訳)

 1946年4月、若きボルマンは、Lofere Steinbergeから遠い、人里はなれた Querleitnerhofに、偽名のまま住み続けていた。彼は自分の母親の死についてまだ何も知らなかった。自分の兄弟姉妹がどこにいるのかも全く見当がつかなかった。彼は、自分の父が欠席のまま戦犯として裁かれたことを新聞で読んだ。
 それから、彼は、父親の死刑宣告を読んだのだった。その晩、彼は農夫のNikolaus Hohenwarterに自分の正体を明かした。

 ありゃー、母親の死を知って泣いたというのは、私の空想でしたか。何で、こういう話が紛れ込んだんだろ?(・・?)いかんな、勝手に話を膨らませちゃ。こうなると、他の部分も怪しくなってきて、とても他の部分を読み返す勇気はない…。

 私は、このボルマンさんが結構気に入っているもので、いつの間にか話をよりドラマチックにしてしまったみたいです。1959年版の方にはどの子どもたちも、まだ父親が生きていた頃の写真と、その後の写真(大体どの人も20代から30代初めくらいでしょう)が載っているんですが、ボルマンさんはどっちもカッコいいのであります!一目で生地も仕立ても上等と分かる、ナチスの学校のユニフォームを着て、自信に満ちて笑っている写真の彼も、その後司祭になって、宣教師としてコンゴに出かける際に、司教(かな)が差し出す十字架に跪いて接吻している彼も、結構すてき。司祭やめなきゃよかったのにい。(と言っても仕方ないが。)

 えー、しかし、私がボルマン・ジュニアをひいきにしているのは、何も写真がカッコいいからではなく(それも多少入っているのは認めます)、彼がキリストを自分の主として受け入れるまでの内面の動きはすごいものがあったろうと推測するからであり、また、過去から目をそらさず、かといって大げさに過去を否定して自分の心の動きをごまかそうとするのでもなく、じっと見つめているという強靭さに打たれるからです。(ま、これも私の空想が入ってる可能性はあります。彼がキリストを受け入れ、神学校に行くと決意するまでの数年間の内面を彼も語らず、取材者も突っ込んでおらず、私としては、そこを掘り下げて欲しかったなーと思ってます。記事の狙いは違うところにあるのだから、ないものねだりだと分かってはいるんですけどね。)

 というわけで、間違いの訂正でした。

 はるる