カール大帝

 『地上の夢 キリスト教帝国』を読了。

 

地上の夢キリスト教帝国―カール大帝のヨーロッパ (講談社選書メチエ)

地上の夢キリスト教帝国―カール大帝のヨーロッパ (講談社選書メチエ)

 「ヨーロッパ」がいかに誕生したか。そこにどれほどキリスト教が関わっていたか。
 そして、ヨーロッパ独特のキリスト教と国家の関係性の源泉はどこにあったか。

 興味深い内容でした。


 ザクセンとの戦いを、異教徒のザクセン人とキリスト教徒のフランク人の戦いだとカールが認識したということの背後に「聖戦の思想」の萌芽を指摘した部分を読んで、まず、あ〜そうかと合点。その後の展開が『北の十字軍』(山内進)とつながって、数百年が一気に見通せる感じがし、これが歴史を読む醍醐味の一つよね、ふふふと悦に入ったりして。

 異教の撲滅とキリスト教化が戦争の目的となってしまったんですねえ。

 戦争がここでキリスト教世界の純化・拡大と結びつき、布教と為政者の武力行使がつながってしまったわけで、西方キリスト教の不幸の種だなと思いましたよ。

 あとは―

  • 789年に出された『一般訓令』の意図がキリスト教に基づいた社会の再構築であったこと
  • カールが旧約聖書の宗教国家を統治モデルとしてフランク王国の再生を目指したこと
  • キリスト教帝国」という理念が聖職者であるアルクインから提出され、カールの戴冠が徹頭徹尾、宗教的な雰囲気の中で行われたこと
  • 神から委ねられた王権の重要な任務が、正統信仰の擁護(異端の撲滅)、民衆教化、異教徒の改宗であること
  • アルクインの理想がアウグスティヌスを土台にしていること
  • カール自身も『神の国』を愛読していたこと(といっても、カールは文盲だったので、朗読を聴いたそうで、すると愛聴というべき?)

 などの点が、これまで読んだ本の内容と有機的につながり、少し歴史の形が見えてきたような気がします…。


 とはいえ、まだ「キリスト教帝国」の定義をずばっと簡潔に語れない私(ここに書いてみようとしたら、あれれ?となった)。

 それはつまり、理解してないってことじゃん!(>_<)
 がっくり。


 それにしてもアウグスティヌス、恐るべし。

 『アウグスティヌスとその時代』の終章に、アウグスティヌスの『神の国』は政治史において計り知れないほどの影響を後世に与えたとあって、『告白』ばかり気にしていた己の不明を恥じたものです。

 

アウグスティヌスとその時代

アウグスティヌスとその時代


 シュトレーゼマンが千秋にいった言葉じゃないですが、

 「アウグスティヌス、なめてんじゃないですよ」

 ははーっ。平伏、という感じ。(もとのせりふは、『のだめカンタービレ』中の「ブラームス、なめてんじゃないですよ」)


 アウグスティヌス自身は地上の国家と神の国を同一視したことはなかったにもかかわらず、「キリスト教帝国」としてローマ帝国が復活したとき、「神の国」理念がカールによって受容され、『神の国』の神権政治的解釈が生まれて、「神聖ローマ帝国」が地上における「神の国」と宣言されたという風に事態は推移するようですが、いやあ、日本列島に住む私には、まだまだピンとこないことが多すぎます(;_:)。


 教皇と皇帝の対立の流れもまだわかったようで、分かってないし〜。

 西洋中世史を研究している日本人は偉大だ。

 はるる