旅行かばんの中の二冊の本

 旅から戻ってきました(って帰省してただけなんですが^_^;)。

 結局、旅のお供をした本は、『100歳の美しい脳』と "I'm the King of the Castle"でした。

 

100歳の美しい脳―アルツハイマー病解明に手をさしのべた修道女たち

100歳の美しい脳―アルツハイマー病解明に手をさしのべた修道女たち

 『100歳の美しい脳』は、人間という存在が秘めている神秘を感じましたし、修道生活についていろいろと考えさせられたりして、なかなか良い本でした。お勧めです。著者のスノウドン博士の生きる姿勢や研究に対する態度も真摯で誠実さが感じられて、読んでいて一種の清々しさがあり、気分がよくなる本でした。
 
 対照的に、読んでいて気分がすっきりしなかったのが、スーザン・ヒルのこの本。
 

I'm the King of the Castle

I'm the King of the Castle

 サマセット・モーム賞を受賞しており、文学的には素晴らしいと思います。(なーんて、私は文学が分かる人間ではないのですけど)。しかし、話の内容がねえ。この小説の雰囲気をどう表現すればいいのか。ぴったりくる言葉をどうしても思いつきません。
 陰鬱というには、乾きすぎている感じがするし、陰惨というには、妙にしんと静まり返っている感じだし、しかし、その静けさの中で心理的な恐怖が密やかに無味無臭の毒ガスのようにもやもやと漂い広がっていくようで、これをどういえば良いのか。寒々しいんです、何もかもが。なぜだか読んでいると、stillという言葉とuneaseが何度も脳裏に浮かんできました(なんで英語やねん。)

 それはいいから、この本はどういう話なんだ!と業を煮やしておられる方もいらっしゃるかも知れませんので(いるか?)、これがどういう話か、ざっと言いますと。

 Edmund Hooperという10歳の少年が父親と住む古い屋敷に、Charles Kingshawという同じ年の少年が母親と共にやってくるわけです。Hooperは金持ちで雇い主側、Kingshaw側は父親を失ったこともあり、母親がこの屋敷で働くためにやってきたわけですね。
 Edmundは別の子どもがこの館にやって来て欲しくないけれど、父親はお前にもいい友達ができるなどと見当はずれなことを言っている。このEdmunという子ども、なんというかサキの短編集に出てくるような少年で、父親すら密かに彼を恐れているところがある。自分の感情を出さず、冷たく心を閉ざしている感じの少年です。はっきり言って怖いです、この子。それをまた文学的に表現してあるからなおさら不気味。
 対するCharlesは、いうなれば普通の子どもです。父親の死などを体験しているから、ある程度大人の部分もあって、単なる能天気な「良い子」でもないし、ただの弱虫というわけでもない。しかし、要するに普通の子、まともな子です。だから、Edmundに太刀打ちできない。
 最初にチャールズが屋敷に入った場面で、彼はエドモンドが丸めて落とした紙を拾います。そこには、"I didn't want you to come here"と書いてある。(ここで、もう怖かった私。)そして、この話はこのエドモンドの願いを軸に展開していくわけです。お前の居場所はここにはない。出て行け。失せろ。
 自分の存在を一切認められない状況の中でそれに耐えて生きるというのは、本当につらい。周りの大人は誰もチャールズの苦しみに気がつかないし(母親はフーパー氏と結婚する方向で盛り上がってる始末)、エドモンドは大人の前ではチャールズに対して天使みたいに振舞ったりして、悪いのはチャールズみたいになったりするし。うう、かわいそう過ぎるぞ、チャールズ。
 
 この二人の関係をどういう風に表現すれば一番いいのか、私の乏しい語彙では上手くいえません。いじめといえば、いじめなんですけどね。いじめと言う言葉だけでは掬いきれない何かがある気がしまして。
 例えば、屋敷の周りを散策に出たチャールズが鴉に襲われ、鴉に攻撃されながらも必死で館まで戻ってくる。すると、それを屋敷の窓から、ずっとエドモンドが見てるわけです。じっと。エドモンドは常にwatchしている存在なわけ。
 更に、やっと鴉から逃れたと思ったら、チャールズは、鳥が怖いなんて、臆病者!とかなんとか、エドモンドから言葉でばしばしに傷つけられる。

 かつていじめられっ子だった私は、こういう力関係、こういう関係性はなじみが深かっただけに、もう読んでいて息が詰まってくるんです。読みながら、これは絶対、最後にチャールズは死ぬなと思うから、ますます気分が重くなる。なので、途中でこの本を読むのを止めている状態です、今。といっても、チャールズの最後が気になるので最終章は先に読んでしまいました。
 やはり、死にましたよ、チャールズ。
 で、その死んでいく少年の描写とその後に続くエドモンドの感じた感情(勝利感)のくだりを読んで、私はぐったりしてしまったのでありました。
 
 そもそもこんな本読まなきゃいいのに、何故か、こういう怖い少年が出てくる話というのは気になって読んでしまうのです、私は。子どもの時からそうだった。しかし、今回の恐ろしさはピカイチでしたね。人間の暗部というのか、原罪につながる暗さを上手に描いているだけに、単に怖がらせるのが目的のホラー小説に出てくる不気味な子どもなんか目じゃなかったです。いやはや。

 
 はるる