またもや短歌

 このところ、仕事の関係で中国語や漢文を読まねばならない状況にあるためか、なよなよと柔らかな日本語に触れたい気分です。

 というわけで(どーゆうわけだか)、穂村弘のこの短歌をまず書いてしまうのだ。


 「きがくるうまえにからだをつかってね かよっていたよあてねふらんせ」

 別に私はアテネフランセには通ってませんし、気が狂うと感じるほど真面目にフランス語をやってもいないけど、ま、気分です。ひらがなで書いてあるところが、ミソですよね。
 と、ここまで書いていきなり思い出した、『異邦人のまなざし』という本の中にあったフランス語学習の話をひとつ。
 この本の著者である小坂井さんは、20代初めにフランス語を10ヶ月勉強したところで、ある会社の通訳試験を受験してみたところ、合格はならなかったものの見所があると通訳養成コースで特訓を受ける機会を得、数ヵ月後に、なんと、他に都合のつく通訳者が見つからないからという理由だけで(!)、アルジェリア(だったと思うが)に通訳として派遣され、なにせ通訳をしないといけないので死に物狂いでフランス語をやった結果、フランス語をものにしてしまったというご自分の体験を書いておられました。
 小坂井さんは、3年アルジェリアにいた間、飲みに行こうと誘われても、お酒は飲めないのでと偽って、夜もせっせとフランス語を勉強し、日曜日は、ル・モンドを読み、子供向けの本を毎日一冊は必ず読み、半年ごとに日本に休みにいけるようにもらえる一ヶ月の休暇には、フランスに行っては勉強し…という具合にして、フランス語を身につけ、結局フランスで博士号を取って、今はパリ第五大学(だったと思う)で、教鞭をとっておられます。数奇な人生といえる、かな。

 それにしても、やっぱり、あれくらいの凄まじさで勉強しないと外国語は身につかないんでしょうねえ。この本の上記の件を読んだ時、己ののんべんだらりとしたフランス語のお勉強を顧みて、忸怩たるものがありましたわ。いやはや。

異邦人のまなざし―在パリ社会心理学者の遊学記

異邦人のまなざし―在パリ社会心理学者の遊学記

 というところで、また突然短歌に戻ります。 

 城門は脚より昏れて夏の馬うなずきながら今日を閉じゆく(梅内美華子)
 
 フランスパンほほばりながら愛猫と憲法第九条論じあふ(荻原裕幸

 午前二時 父さんと僕とスタッフと冷たい風は店に集合(千葉聡)

 佐野朋子のばかころしたろと思ひつつ教室へ行きしが佐野朋子をらず(小池光)

 最後の歌、佐野朋子さんはどう感じるか。

 「犬の仔の耳やはらかく幾度も形を変へて風を聴きをり」(渡辺幸一)

 はるる