ペンナ

 今日は、聖母のご訪問の祝日です。今日で聖母月の五月もおしまい。時間が経つのが早いなあ…。

 ある月を特定の聖人に捧げるといった時間感覚はヨーロッパが長い時の中で作り上げた伝統なんだなということを感じます。3月が聖ヨセフの月とか、6月がイエスの聖心の月とか。
 仏教圏で、この月は観音様の月といった発想はあるのでしょうかね?日本ではあまり聞かない気がしますが、上座部仏教の東南アジアの方とか、どうなんでしょう?

 全然、上の話題と関係ないですが、文藝別冊の須賀敦子追悼特集号をちょっと読み返していて、須賀さんが亡くなる直前まで手を入れておられたというサンドロ・ペンナの詩の一篇が心に留まったので、それを書きます。「海は青に染まって」という題名の詩です。

  

 海はほんとうに青くて。
 海はほんとうに静かで。
 心にはほとんど歓喜
 叫びが。そしてすべてが、静か。

 こういう状況ってあるなあ、私が感じていてもいえない事を他の人が見事に言語化していると感じた詩です。

 『須賀敦子全集』第5巻の解説を池澤夏樹氏が書いていて、そこにこういう文章を見つけました。

 

 よい詩が多くの人に共有されるとは、まずそれが記憶されるということだ。そして詩人が言っているのと似たような状況で詩は思い出され、引用され、その状況への認識を深める。詩は感情表現の教養のプールである。各人はそこから言葉を汲み出して思いを伝える。

 「詩は感情表現の教養のプール。」日本語の世界では、長い間、その役割を和歌と漢詩が担っていたのだろうと思いました。でも今は、そういう共有された表現のプールがない時代なのかも。だから、社会がなんだかバラバラしているのかな。世代ごとにプールが違っていて。

 はるる