サド・フーリエ・ロヨラ

 昨日、久し振りに近所の愛想のよい古本屋さんを覗きました。
 数ヶ月前に足を踏み入れた時、棚に見つけたロラン・バルトの『サド・フーリエロヨラ』。
 今回行ってみると、まだ棚に鎮座ましましてました。

サド、フーリエ、ロヨラ

サド、フーリエ、ロヨラ

 おおっと心が揺れて、しばし本をつかんでたたずむこと数分。買うか、買わないか。
 これは、サド、フーリエロヨラのイグナチオとおよそ結びつきそうもない三人には近代人としての共通点があるということをテキスト解読だかなんだかを通して描き出している本(としか書けないところがもう、お馬鹿さ加減丸出しでお恥ずかしい)で、興味そそられる内容です。
 が。

 哲学の苦手な私が読んで果たして理解できるか?
 特にテキストがどーしたなんて、一番ダメだろう。
 絶対、挫折するって。
 1500円ものお金をどぶに捨てるようなことしないほうが賢明では?
 読まない、読まない、絶対本棚の肥やしになるだけ。
 
 と理性に諄々と諭され、アデュー、ロラン・バルトと本を棚に戻しました。
 今度行ったときもまだあるかしら?

 高校生から大学生の頃、一時期サドに関心を持っていた時期がありました。(友人にサドの本を買ったと言ったら、「え?茶道の本?」と言われた。)
 ただし、サド自身の著作は『ソドム百二十日』くらいしか読まず、もっぱらマルキ・ド・サドその人に関する本を読んでました。(今思えば、私にサドが分るはずもなかったのに、何を読んでいたんだろ?)

 遠藤周作のサド侯爵に関するエッセイ(正式題名は失念。サド侯爵の城跡に行くエッセイも読んだ記憶あり)とか、澁澤龍彦の『サド侯爵の生涯』とか、三島由紀夫の『サド公爵夫人』とか、そういうもの。
 遠藤周作の『王妃マリー・アントワネット』にもサド侯爵は脇役で出ていましたね、確か。それで、マリー・アントワネットにはあまり興味ないのに、この本を読んだ覚えがあります。でも、下巻を読んだかどうか覚束ない…。

サド侯爵の生涯 (中公文庫)

サド侯爵の生涯 (中公文庫)

サド侯爵夫人・わが友ヒットラー (新潮文庫)

サド侯爵夫人・わが友ヒットラー (新潮文庫)

王妃マリーアントワネット(上) (新潮文庫)

王妃マリーアントワネット(上) (新潮文庫)

 なんで、あんな変なおじさんに興味があったのか、今では我ながら謎ですが、サディズムとはなんのこったい?と理解に苦しんでだったかもしれません。
 どっちかというと、自分にとってはサド公爵夫人の方がより謎深き存在だった気がします。
 今でもサド本人より彼の奥さんには関心があります。
 夫が解放されるまでは離婚しないで頑張ったのに、解放されたら途端に二度と夫と会わないという彼女の行動が理解できないので。(確かそういう行動だったと思うのですが、ちょっと自信なし。)

 ロヨラのイグナチオは今お世話になってますので、サドとロヨラが並んだだけでも魅力的だったんですけどね、ロラン・バルトの本。(いささか、未練が…。いや、絶対理解不可能だから、やめときなさいね。)

 昔、ロヨラ城に行って、その地方の自然が日本的なのに驚いた記憶があります。イグナチオの自伝である『ある巡礼者の物語』を片手に、マンレサやモンセラット(イグナチオゆかりの地)を回ったんだったなあ。遠い記憶になりにけり、です。

 

ある巡礼者の物語 (岩波文庫)

ある巡礼者の物語 (岩波文庫)

 はるる