観たいビデオを観、読みたい本をめくる

とうとうぶっつんしてしまい、昨夜はいきなり、Bobby Kennedy In His Own Words なんてビデオを観てしまいました。(もういいんだ、好きにさせてくれ。)

Bobby Kennedy: In His Own Words [VHS] [Import]

Bobby Kennedy: In His Own Words [VHS] [Import]

 このビデオ、数少ない日本のRFKファンには自信を持ってお薦めします(いや、ファンならとっくに御覧になっているのかしら?)。
 PBSRFK と共にRFK関連フィルムの双璧をなすのでは。

 それにしても、本当にテレビに向かない人だったんだなーと、1964年の上院議員選挙のためのテレビCMをつくるのにNG出しまくりのボビーという珍しい映像を観ながら、彼が気の毒になってしまいました。
 出来上がったものも、これを観て彼に投票しようと決意する人が万に一人もいるのかと思わせる代物でしたし。RFKに精彩が全くない。せりふ言うのが精一杯で(~_~;)。

 コロンビア大学で「お前は大統領になりたいという個人的野心の踏み台としてこの上院議員ポストを利用したいだけではないのか」といったきつい質問にガンガン答えている(つまりけんかしている)映像のほうが、はるかに生き生きしていて彼らしい。

 選挙参謀も他の映像と差し替えてテレビにはコロンビア大の映像を使ったらしいですしね。(せっかく作成したCM映像も流しはしたのでしょうけど。)

 「そこで予定を変更して、ボビーが、たとえばコロンビア大学のような場所で活動しているフィルムに切り替えた。それは彼が学生たちの質問に答えているところで、彼らの多くは敵意をむきだしにしていた。ボビーは最高だった。ブラウン管からいまにも飛び出してきそうだった。」ジャックには穏やかな状況が似あっていたが、ボビーは戦っているときがいちばん自然で、活動することに真の自己を見出していた。こうしてボビーは、まさに独自のものといえる政治的な人格(ペルソナ)を発見するための第一歩を踏み出したのである。(『ケネディ家の人びと』下 146p)

ケネディ家の人びと (下)

ケネディ家の人びと (下)


 ちょうど1968年頃から、急速にテレビが選挙活動において最重要ツールになっていったらしいので(『1968年』下巻によれば)、完全にテレビ時代となっていた1972年の大統領戦に出馬していたら、絶対ボビーは負けてましたね。賭けてもいいです。
 と、彼が苦労している映像を観て思いました。
 
 1968年こそが彼の年だったんだなあ。彼には、この年しかなかった。


 ・・・っとと、別にRFKを呼び出すはずではなかったんですが。

 そう、ぶっつんした私は、ついに図書館から『エリック・ホッファー自伝』と『魂の錬金術』、そして丸谷才一の『横しぐれ』を借りてきたのです。

 もう、我慢できない! 今の私に必要なのは、アニマの読書よっ!というわけで。

 『横しぐれ』なんて、読みながらもう一文一文をなでさすりたい感じ。
 命の水を飲んでいる気分。
 

横しぐれ (講談社文芸文庫)

横しぐれ (講談社文芸文庫)


 そして、『魂の錬金術』をパラパラとめくり、好き勝手な箇所を拾い読み。

魂の錬金術―エリック・ホッファー全アフォリズム集

魂の錬金術―エリック・ホッファー全アフォリズム集

 植物は成長するために根を必要とするが、人間の場合は逆である。人間は成長しているときにだけ、根をもち、世界に安住することができる。(160p)

 歴史上、行動はしばしば言葉の反響であった。おしゃべりの時代に続いて、事件の時代が訪れた。
 二十世紀の新たな野蛮は、十九世紀後半の聡明な語り手や書き手が発した言葉の反響である。(40p)

 山を動かす技術があるところでは、山を動かす信仰はいらない。(12p)

 これがまさに、第一世界の問題ではないでしょうか。

 われわれを最も疲れさせるのは、終わっていない仕事である。(200p)

 うう、ホントにそのとーり(T_T)。

 はるる