TV映画『RFK』と一人芝居『RFK』

 「止めてくれるな、おっかさん、背中のいちょうも泣いている」状態(何のこったい)になっている私は、とうとう2002年にFoxTVが放映したテレビ映画RFK のビデオまで観てしまいました・・・。

Rfk [VHS] [Import]

Rfk [VHS] [Import]

 これは、1963年11月22日(JFK暗殺の日)から始まって、1968年6月5日(RFKが撃たれた日)までを扱った映画で、兄を失った後のロバート・ケネディの人生に焦点をあてて製作されたものです。

 となると、見ないわけにはいかぬというわけで、観たんですけれど。

 RFKを演じたのはイギリス人のライナス・ローチ(Linus Roache)。この演技でゴールデングローブ賞の主演男優賞にノミネートされたそうな。ふーん。

 彼が熱演だったことは認めます。もっとも、いくら演技が上手くても、あの1968年のRFKを包んでいたカリスマティックなオーラは出せないのだということも学びました。オーラは演技では出せないものなのね。

 また、脚本もチャベスとの関係性とかブルックリン地区での貧困問題へのRFKの関与とかちゃんと抑えていて、外面的なボビーの後半生と変化を見るという点においてはそこそこ評価できます。

 が。

 内的成長、変容についてはダメですね。それを描こうとして、RFKにだけ見えるJFKの幽霊(?)を出して二人で会話するシーンを何度も出してくるのですが、これがよろしくありません。完全にこの演出は失敗だと思います。

 そもそも、他の人には見えなくて彼だけ見えるJFKと話している場面は、ほとんど映画のA Beautiful Mind 状態。
 ボビー・ケネディは正気を失っているとしか見えません。病院に行ったほうがいいよ、ボビーって感じ。
 なので、この二人の会話シーンになると興が殺がれ、かえって邪魔でした。

 それと、ああもお兄さんに支配されているようにRFKを描いたら、ダメでしょう。
 RFKの成長は彼の前半生を支配していた父と兄から自立して、二人を乗り越えていくところがポイントなのに、あんなにお兄ちゃんがでしゃばってどーするんだ。 

 ・・・などと偉そうに言ってますが、、実はこのシーンになると観る気が失せ、すると途端に耳が閉じて英語の会話で何が語られているのか分からなくなっていたので、自信はないんです。
 私の英語力の貧困さがこういうところで露呈するなあ。集中してないと、聞き取れない。いや、集中していても分からないことが多い(;_:)。情けない。こういうときだけ、アメリカ人に生まれたくなります。

 というわけで、この映画に対する私の評価は5点満点で☆三つですね。

 ま、当時の映像フィルムを随所で使っているのはよかったです。例えば、ワッツ暴動の映像を初めて観られたのは嬉しかったし、68年の選挙戦における後姿のボビーは全部本人のものを使っていてファンサービスしてくれてました。そして、最後に使用した本物のボビーの映像が泣かせるのだ。

 ところで、このビデオのカバーイメージ(と言うの?)はこの写真(↓)を模してますねー。(だから何?といわれても困るんですが。)

 この写真を最初見たとき、「あ、千手観音」と思った私の感受性って一体・・・。


 TV映画は期待はずれでしたが、今、興味があるのが、2005年にオフブロードウェイで上演され、今はボストンで上演中(と思う)の一人芝居RFK

 劇についてはこれをご参照あれ。

 http://www.rfktheplay.com/

 Jack Holmesという人が脚本を書き、主演しています。

 
 これは、1964年当時のRFKを演じているところでしょう、服装から推測するに。

 このお芝居は、先の映画の評判があまり芳しくないのに比べ、かなり評価が高いです。

 うわー、このお芝居を観てみたいと思うけどそれは無理なので、目下の私の切なる願いは、脚本を読みたい!です。どんな風に書いているんだろ。脚本、出版されていないかなあ。(と思い、調べて見ましたが出版されていない模様。むむ、残念。)

 ジャック・ホームズがどうしてこの劇を書くに至ったかについては、

http://www.thevillager.com/villager_133/gettingtoknowjack.html
 および
http://www.telegram.com/apps/pbcs.dll/article?AID=/20070527/NEWS/705270435/1110

に書いてありましたが、面白かった。(特に二つ目のボストンの記事はわくわくするようなことがいろいろ書いてあり読んでいて楽しかった。)

 彼が Robert Kennedy and His Times を読んだ後で、行きつけの古本屋さんに出かけ、たまたまそこにあった古い箱を開くとそこにはRFK関連本が箱一杯に詰まっていたのがきっかけだったとか(箱ごと20ドルで買ったらしいが)。
 箱一杯のRFKについての本・・・。いいな〜。まさに垂涎ものだあ。

 なんだか、シモーヌヴェイユについての一人芝居を連想するなあ。あれも、ヴェイユの本を偶然読んだ一人の女優がヴェイユに夢中になった挙句書いた劇だったはず。あの脚本は翻訳が出ていましたよね、確か。昔読んだ覚えがある。(と思うんだけど、ちょっと自信がなくなってきました。)


 それと、興味深かったのは、
http://www.pasadenaweekly.com/article.php?id=3050&IssueNum=2
に書いてあった、グロリア・スタイナムがボビーについて語ったくだり。

 スタイナムは他のジャーナリストと一緒にRFKの選挙運動に同行して取材していたのですが、彼が暗殺された後はニクソンの選挙運動に同行するようになったそうです。そして、そこで目にしたニクソン陣営の選挙活動とボビーのそれとを比較して、彼女は仲間のジャーナリストとしばしば話し合ったそうな。

 (ジャーナリストたちはRFKに同行して目撃したことを書かなかったが、お互いによく話していた。)
 例えば、ウーンデッド・ニー*1に赴く途中のボビーと彼のスタッフを観察してたときのことね。彼のスタッフはただでさえ乏しい時間をこれに使うことに反対だった。一人が言ったわ、その居留地には殆ど投票者がいないでしょうと。ボビーはカンカンに怒って、こんな感じで言ったのよ「このろくでなし、お前は彼らのことをちっとも気にかけちゃいないんだ、そうなんだろ?」(“You bastards. You really don't give a damn, do you?")

 その後、スタイナムは続けた。「私はこうした話を報道しなかった記者たちの悲劇が分かるの。彼らは客観的でないといわれるのが怖かったのよ。殆どの記者がボビーのことを好きで尊敬していた。だからかえって彼について過度に批判的になった。殆どの記者はニクソンのことを好きでもなく信用もしてなかった。なので、逆に彼をあまり批判しなかった。結果として、私たちはボビーが何者なのかを彼が殺されるまで知らず、ニクソンが何者なのかを彼がホワイトハウスに入るまで知らなかったことになった。

 そう、記者たちは自分たちの観察したものを事実から区別しなくてはならないけれど、それを差し控えるべきではないのよ。でも実際のところ、『RFK』を観劇する多くの人たちは、初めてボビー自身の言葉によって真のロバート・ケネディに出会うでしょうね。この劇は、候補者が心と良心を持っているとき、政治家はどうあり得るかを示しているわ。」


 やっぱり、この劇観てみたいなあ!
 字幕つきで。

 はるる

*1:サウス・ダコタのインディアン居留地にある場所。ここで昔、ネイティブ・アメリカンに対する虐殺事件が起こったので、インデァイン史にとっては象徴的な地名