連休最後の日

 連休も今日で最後というわけで、本日は映画『セデック・バレ』第1部を観ました。

 重かった…。結構、残虐(といってよいのかどうか躊躇する思いもありますが)なシーンが続く映画だったのですね。

 「霧社事件」を扱った映画ということで、ある程度覚悟はして行ったつもりでしたが、予想を上回っておりました。

 私としては、セデックの文化をまるまる100%無条件で肯定はできないし、かといって、日本人がしたことも肯定できない。
 悪玉、善玉が明確なハリウッドのアクション映画などと違い、どちらかに肩入れして観るという楽な映画鑑賞ができないため、精神的にも非常にくたびれました。

 運動会での日本人殺戮のシーンでは、自分がそこにいれば、絶対に殺される側であるため、かなり緊張して身を固くし息を詰めて観ましたし。

 同時に、人間の尊厳をないがしろにすること、されることの恐ろしさと苦しみ、人間の誇りの問題など、あれこれ考えされられることが多く、頭が飽和状態にもなりました。

 自分にとってきわめて異質としか感じられない文化とどう(よりましな)関係を構築していくのかという問いが残り、善悪をすっぱり決めきれない世界の中で、白黒を明確にして単純に物事を考えたいという誘惑と闘わないといけないのかな〜とか、只今、頭の中がいろんな思いでいっぱいでありまする。

 それにしても、壮年のモーナ・ルダオ役の人に惚れ惚れしてしまいました。人の上に立つべくして立つ人の持つ威厳というか、貫録を感じました。ルダオ役を演じた林慶台氏は、本物の役者さんではなくて、素人さんで、しかも牧師さんだそうですが。(若き日のモーナ・ルダオ役の人の目の鋭さ、全身から発される精悍さにも圧倒されましたけれども。)

 

 本当は第二部まで一気に観た方がよかったのかもしれませんが、とても体力、気力がついていかず。
 
 来週にでも、第二部を観るつもりですが、こちらもか〜な〜り重そうですね。

 私としては、セデックだけど日本人として教育され、警官になった二人が気になるところ。一番感情移入したのが、この二人だったので。(一応、霧社事件について調べたので、彼らの悲しい運命について予備知識は得ましたが、これを映像として再現されたのを観るのはつらいなあ。)

 ちなみに、以下の『セデック・バレ』の台湾での公式サイトには演技の訓練映像(映片をクリックすると出てくる)などを見ることができ、興味深いです。(中国語の字幕がつくので、なんとなく分かります。)

 http://www.wretch.cc/blog/seediq1930

 さて、この連休、やれ憲法だ、『セデック・バレ』だとうろうろする合間に、『熊取六人組』も読みました。脱原発改憲抵抗運動はつながっていると感じる今日この頃、であります。

 

熊取六人組――反原発を貫く研究者たち

熊取六人組――反原発を貫く研究者たち

 はるる