神は貧しい
もうすぐ聖週間なのにダミアン・ソーンどころじゃないよ!(でも、無料DVDレンタル券をもらってしまったので、『オーメン2』を借りてしまいそう・・・)
というわけでもないんですが、モーリス・ズンデルを少しずつ読んでます。
- 作者: モーリスズンデル,Maurice Zundel
- 出版社/メーカー: 女子パウロ会
- 発売日: 1992/01
- メディア: 単行本
- クリック: 3回
- この商品を含むブログ (1件) を見る
「貧しさはキリスト教の鍵である」とたびたびズンデルは言っていた。このように、神は貧しく、何も持たず、何も所有していない。神は譲与そのものである。
(中略)
こうして人間の天命は神の姿にかたどられて貧しくなることである。人間が真に人格となるのは、数えることのない全き自己譲与のために、無所有の中で自己の深奥のうちに「他者なる方」(そして他者たち)に向かう動きになったときである。
愛するとは、他者となること、他者のうちに住むことである。もはや自分自身ではなく、自分に属するのではなく、他者のものとなることである。したがって、愛である神がその限りない聖性の度合いに応じてそのような方であると考えるのはむずかしいことではないであろう。
レヴィナスを読みたくなる。
父は何も持たない。子に向けられたまなざし以外のものではありません。
子は何も持たない。父に向けられたまなざしそのもの。
聖霊は何も持たない。父と子に向かう熱望の息吹そのもの。
神は貧しい。
神は何も持たない。
神は何も持たないゆえに神なのです。
この神の貧しさの前では、B級ホラー映画に出てくるアンチキリストは、ただの人殺しの上手いヤツに過ぎない。
こんだけ富と権力を持っているぞ!と誇示しても、そんなもの、所詮死んだら持っていけないものでしかないもんね。
はるる