マージェリー・ケンプ

なんだか高橋たか子さんで前回のコメント欄が妙に盛り上がってしまいましたが、一時期高橋たか子にはまっていた者として、ここで一言弁護いたしますと。
 高橋さんは、悪を書かせるとすばらしい作家だと思います。罪ではなく、悪ですね。遠藤周作は自分は罪は書けても悪は書けない、しかし、高橋たか子は悪を書き得る稀有な作家だと言った由。

 具体的には、彼女がカトリックの洗礼を受け、フランスに行かれる前に書かれた作品ということになるでしょう。私がいいと思っているのは、『誘惑者』と『怒りの子』です。別にお勧めはしませんけど。

誘惑者 (講談社文庫)

誘惑者 (講談社文庫)

怒りの子 (講談社文芸文庫)

怒りの子 (講談社文芸文庫)

 ところで、高橋たか子さんがフランスに行かれてキリスト教神秘主義の方に向かわれて後の著作を読んでいると、私は「準神秘家」という言葉を連想してしまいます。
 この言葉はかつて14世紀イギリスに生き、女性として始めて自伝を残したマージェリー・ケンプを評して、ある人が言ったものだそうです。
 マージェリー・ケンプといっても、大方の人は分からないでしょうが、私は子供の頃、イギリス史に関する本の中で、ちらりと数行、この女性のことが書いてあるのを読んで以来、頭にひっかかり続けて、いつかこの人のことを知りたいと思っていました。
 マージェリーは14世紀の女性で、商売を切り回し、若い頃はファッションにうつつを抜かしたりしていたのが、あることがきっかけで霊的生活に開眼し、ある程度年をとってからエルサレムやらローマやらあちこち巡礼しまくり、神秘家だとか自己顕示欲の強い食わせ物だとか、当時も今も毀誉褒貶激しく、そして、英語で男女問わず初めて自伝を残した人です。こうしたことが、私の好奇心を刺激したってことでしょうか。読んでみたくないですか?この人の自伝。しかも、神秘家だのペテン師だのと思われていた女性なんて。
 
 そうして、何年も過ぎ、ついに数年前、ニューヨークに出かけた時、ヨーロッパから中世の修道院だか教会だかをそっくり買ってきて展示(?)しているという博物館に行って、そこのミュージアム・ショップでケンプについての本を見つけたのです!当然、おおっと喜んで買いました。これで、ついに長年の渇きが解消する!
 が。シカゴに戻ってその本を読んでみると、著者はマージェリー・ケンプが嫌いだったらしく、神秘家ぶった高慢で、傲慢で奇矯な人の注目を引きたいだけの女という視点で辛らつな書き方がしてあったので、私はめげてしまい、その本を最後まで読み通せずに終わってしまいました。なかなか道は険しい(道って何の道やねん。)
 ところが、昨年日本に戻った時、よもや日本語で彼女に関する本が出るわけがないと思っていた私の前に忽然とある日、マージェリーについての本が現れたんですね。ある古本市で。その題も『マージェリー・ケンプ』。いやあ、待てば海路の日よりありと思いましたよ。

マージェリー・ケンプ―黙想の旅

マージェリー・ケンプ―黙想の旅

 あの危機の時代と呼ばれる14世紀後半から15世紀にかけての、異端に揺れ、ペストが流行した激動の時代に、14人の子供を生み、たくましく必死に全力あげて自分の霊的生活を追い求めたマージェリー。彼女の霊的軌跡を黙想という視点から追い、読み解いたこの本、私には慈雨でした。
 で、ケンプとくれば、ノーリッジのジュリアンです。マージェリーは霊的指導を求めて、当時霊的指導者として名声の高かったジュリアンのところに行き、彼女より助言を受け、それを自伝に書き残しているのです。
 ジュリアンは、かつて私が彼女はイエスは母であると言ったというある本の、これまた、たった数行の記述を10年近く前に読んで以来、いつか知りたいと思っていた人物でした。
 マージェリーとジュリアンの結びつきについては、たぶん『奇跡を見た七人の女性神秘家の肖像』で知ったのだと思います。この本を読んだのも、ひとえにノーリッジのジュリアンを取り上げていたからです。ただし、読了後は、この本そのものにすっかり魅了され、これは今でも私の愛読書です。(邦題が気に入らないのですが、まあ仕方がない。原題はEnduring Graceなのにな。)さらに、この本のおかげで、シエナのカタリナやジェノヴァのカタリナと知り合いになれました。おまけに、この著者キァロル・L・フリンダースのファンにもなって、邦訳されていない彼女の本を何冊も持ってたりします。
 

七人の女性神秘家の肖像

七人の女性神秘家の肖像

 
 というわけで(?)、次回は、英米で大人気のこのジュリアンについて書こうかなと思っていますが、先のことは分かりません。では。

 はるる